ある彩り

焦る安倍首相 従軍慰安婦発言が物語る本音
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20070313/120908/


昨日書いた今週号のThe Economistの中の記事。日本に関係するものだから日経さんちが訳してるかなと思ってらそうなっていた。


で、私があれとちょっと思ったのは、なんとなく英文のトーンと別の印象になっていたこと。別に訳者のせいとかそういうのではないでしょう。じゃあ何かといわれれば、なんでしょうね。やっぱりこのタイトルかしら?


The Economistは「従軍慰安婦」という語を使用していない。というかこの塊自体が日本語と中国語ぐらいいでしか表現できないわけだが、とりあえず本文は、私が読んだ限り、そうして私が印象深く思った限りでは、注意深く言葉を選んでいて、もっと彩り豊かに面白い。


簡単な言葉に関することを先に。例えば、

安倍氏が3月1日、10月の中韓歴訪で達成した成果をほぼ帳消しにするような選択をしたのは、この凋落を止めたかったためかもしれない。彼はこの日、多くの中国人と韓国人にとっての悲憤、つまり、1930、40年代に日本の帝国陸軍が中国人、韓国人を中心とした数十万人の女性に売春を強いたという事実を公式に否定した。

That decline may explain why on March 1st Mr Abe chose to undo much of what he had achieved through his October visits to Beijing and Seoul, by publicly denying one of the many Chinese and Korean grievances: that Japan's Imperial Army forced hundreds of thousands of women, mostly Chinese and Korean, into prostitution during the 1930s and 1940s.

http://www.economist.com/world/asia/displaystory.cfm?story_id=8815091


彼は〜多くの中国人と朝鮮人にとっての悲憤、つまり、日本の帝国陸軍が何十万もの女性、なかでも中国人と朝鮮人を1930、40年代、強制的に売春させた、ということを公式に否定した。


というわけで、まず「事実」という語はない。さらに、日本の特殊事情のなせるわざだが、この記事に限らず、対象になっているのは、Chinese and Koreansで、南北朝鮮の別はない。だから韓国人と書いてしまうのは誤り。これでは読み手の全体ピクチャがぶれる。


また、次のパラグラフ。これが結構な白眉かとも思うわけだが、

婉曲的に「慰安婦」と呼ばれる人々すべてが奴隷にされたわけではない。すでに売春婦だった女性もいれば、家族によって苦界に売られた女性もいた。だが多くの人が、誘拐され、奴隷にされ、レイプされたと話している。彼女たちの証言と軍関係資料室から発掘された文書類によって、1993年、日本政府は責任を認めることを余儀なくされた。ところが安倍氏は今回、強制連行の「歴史的証拠」はないと言い切った。言い換えれば、女性たちはウソつきだということである。

すべての人が奴隷だったわけではなくて、売春婦だった人もいれば、家族によって売られた人もいた。しかし彼女らは誘拐され、奴隷にされ、レイプされたと言っている。日本国政府は、彼女らの証言と軍関係の文書類の中から掘り出された文書によって1993年に責任を認めさせられた、あるいは、認めることを余儀なくされた。さてそこで(Now Mr Abe has said....)、強制力が関与したという「歴史的証拠」はない(there's no "histrical proof" that coercion was involved)と言った。言い換えれば、その女性たちは嘘つきだということだ。


強制連行の証拠というより、強制力、圧力、抑圧、つまりcoercionの関与はない、の方がいくらか具体的といっていいかと思う。この一文はつまり、広義だの狭義だのとかいう朝日の好きな強制連行の話とは関係なく、安倍ちゃんが言った意味を汲んでいるといえるんじゃないかとも思う。軍、国家権力の関与はない、とだけ言ったんだという意味。


そして、その上で、つまり嘘つき、in other words, that the women are liars と書いてきたというのは、このご時世に、私ははっきり、すんごい勇気だよなぁと思う。そこら中が、何を怒ってるのかよくわからない調子で、女性の証言だけを出して、安倍はそれを全部否定しているといわんばかりの記事が雨後のたけのこよろしく、あるいは判でついたように出ている中で、論理的に可能性を考えているんだもの。

一方当事者が強制はないと言っている。しかし他方当事者は誘拐、奴隷、つまり強制的だったと言っている。であればどちらかが嘘つきだ、ということだ、という基本をただそれだけを指摘するだけでも叩かれかねないという時局に鑑み、それでも書ける媒体はあるということだ。つまり、まだjuryは席についていないかもしれないわけだ。


しかし、もちろんこれは、日本に好意的とかそういう話ではない。そういう意図はないだろう。が、見てるところが違いまっせという人は当然にいる。

でもって、冒頭の「ゴシップ粉砕機」gossip-millとはなんぞやなのだが、ゴシップをごいんごいんと製造している、ゴシップ製造機なんじゃないのかしら? いや適語があるわけじゃないけど。ということは、今般ゴシップを熱心に製造し続けているのは誰かといえば、まぁそのその・・・・なわけで、安倍ちゃんという人はその人たちに延されてしまうのか、というのがこの冒頭のへんな描写の意味であろうと思う。逆に考えれば、この著者(The Economistは署名制度じゃなくてこれが媒体の態度です、ってな雑誌なので同紙)は、それをゴシップと考えていると読んでもいいだろうし、いいえ別にそんなこと言ってるわけじゃなくもっと一般的な景色です、かもしれない。


で、延されると決まったというわけでは別にない。ただ、この男にはその件をハンドルできる感じはしてないんだよな、というコンセンサスが現れているのはこの記事についていた写真かなとか思う。いい男かもしれないが暗くてさびしい顔してんの、なんか。


そういうわけで私はこの記事をとても面白く、彩りがあっていいわぁとか思って読んだのだが、なんだって日経さんたらそんなタイトルを付けて、この上品(か?)な、どうとでも逃げられる、楽しい間の取り方をぶち壊しにするのよ、など思う。


いろんな彩りがある方が読み物は面白い。