理由はだいたいいつも複合的だ

朝日は朝日でいやらしい記事を書いている。


昭和天皇靖国へ行かなくなった』

昭和の最後の2年間、私は宮内庁を担当していました。昭和天皇について知りたいことはたくさんありましたが、その一つは、なぜ1975年11月を最後に靖国神社へ行かなくなったのか、ということです。

清水建宇
http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html



なぜって、あんたらが騒ぎ出す気配が見えたから、だった可能性も当然考慮に入れて書いているものと信じてるよ、朝日新聞


もちろん、どれだかわからないわけだし理由は常に複合的だろう。しかし、80年代に朝日新聞を購読していた私としては、朝日が靖国について何も書かなかったとは言わせないし、なにか今から考えればずいぶん思わせぶりな記事もあったような印象は少なくとも私はある。だからこそ、なにかとても大変なことらしいと感じたからこそ、私は結構に興味を持っていろいろ本など買いに走った。その点は感謝してる。


それはともかく、朝日を読むと俄然この話が胡散臭くなるのはやはり日ごろの行いというものだろうとは思うが、ともあれやっぱりこれを今持ち出して、純ちゃん他の参拝に水をつぶさそうとするのは手段としてどうかしているだろう。


そもそも、昭和天皇の側からすれば、自分も含めて戦争の指導者グループをその他一般の国民と一緒にするのは責任上おかしいかもしれないという見解を持つことは当然ありえるわけだ。だから、身を以って指針としたとしても不思議ではないだろう。


それを最初からできなかったのは誰でも知っている通りに最初は占領下だし、その後は国民的にはクラスAの分類も別に意味はなくなっていたからでもあろうだろうし、いろんな意味で70年までは混乱していたこともあるだろう。


が、小泉純一郎は戦争指導者ではない。故人との約束を守ろうとする国民の一人であり、同時に、もし分けたいのであれば、国民の代表者だ。


そこに昭和天皇の言葉を持ってきて何か意味を持たせようとする、一体どういう理屈を構えている??? 
天皇の言葉は今も重い、だけ?? 


日本国の国民の非常に多くは、このトリックにひっかかるのか? 



まじめに思う。


自分の祖父の代にあたるような近くて少し遠くなった人々に対して、ある男、ある女が、

On behalf of the citizens of Japan, I am here to speak to you ALL, who sacrificed your lives, we never forget you....とかなんとか語りかけることが何がそんなにイケナイことなのか、私にはもはや皆目検討見当もつかない。私はこれに関して動じる必要さえ認められない。


つくのは、生きてる側の誰かの都合だけだ。