フクちゃんとWORLD at the crossroads

知らないうちに中心は動くものだ。いや、特に考えていってないが。


国連分担金 政府、支払い見送りも 改革案、総長に打開迫る
http://www.sankei.co.jp/news/060515/sei012.htm

2年ぐらい前の感じからすると考えられない政府になってるなぁと思った。が、しかし、ある種のトレンドが見えかくれするのかしらとも思う。


金曜日に、カナダの、私の定点観測チャンネル、基本的にかなり左に寄っている、BBCの番組のそれっぽいのだけをかき集めて土台を作ってその上にオリジナルを載せているチャンネルといっても過言ではないだろうTVオンタリオのある番組を見ていたら、フランシス・フクヤマが出ていた。ふくやまさん、と呼びたいお顔のひとだが、声を聞いて話をきけば、フクヤマと呼ぶのが適切だなと私の心情は語る。誤解のないように述べれば、これは別に親しさとか、好意の程度のことを言っているのじゃなくて、100%メードインジャパンの人を私は呼び捨てはできない、とても心理的な軋轢がある、ということを言っている。従ってまったくどうでもいいリマークス。すんません。


いや、それが、そのDiplomatic Immunityという番組。
http://www.tvo.org/TVOsites/WebObjects/TvoMicrosite.woa?di


で、それでそれで、フランシス・フクヤマ氏(最初からこう書こうよ)は、ワシントンからのテレビ参加で、自書の紹介がてら? ひっさげて?でていた。(むしろカナダが必要としたのかもしれない。後述)

America at the Crossroads: Democracy, Power, and the Neoconservative Legacy

America at the Crossroads: Democracy, Power, and the Neoconservative Legacy


America at the crossroadsというタイトルが、アメリカは困ったことをしてくれているといいたいカナダ左派の心理としては、それだけで歓迎というところがあるかもね、などという感じも若干あるが、ともあれ、この番組のレギュラーの解説者たち3人(大学関係者2、新聞の熟練つーか老年コラムニスト1)が、珍しくお行儀よく、珍しくアカデミックに、上品に考えて正しく話している様子だったのがとても新鮮だった。一目置かれてる以上のものがあった。つか、素人(私)が見てて思うに、フクヤマ氏はアカデミック・プロパーにとってとてもうれしく頭がいいから、気持ち良く話が聞ける、対話できるのだろうと思う。簡単に言う必要がない、とでもいうのか、条件文を重ねてもOKとでもいうのか(対比的に想像するのは、ビジネスとか他の国からの人、そしてなんといっても政治家で、それらは、西欧アカデミズムでもまれている人にとっては無茶だったり、ストリートスマート系だったりするわけで、実は彼らにとって実のある話にするのは結構無理があるのだろうなぁなど思った。ましてテレビだし)。


いや、それでそれでそれで、その中で、国連の話がちょと出てきて、国連は今でもlegitimacyはあるのか、アメリカ政府にとって、とTVOのスティーブに尋ねられ、フクヤマ氏が、それって今週は特にまずいですねと笑いを取りつつ返して、スティーブが、今週だからこそでしょ、と受ける場があった。つまり、このニュース。


日本、人権理事会に当選 国連、圧政対応に懸念も
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006051001000053

 核問題を抱えるイランは落選したが、人権面で問題があるとして国際人権団体が懸念を示していたロシア、キューバサウジアラビアなどは当選、人権侵害や圧政への取り組み強化という目標に影を落とすことになった。


で、サウジとかキューバとか、あとどこか一つどこだったかフクヤマ氏が名をあげだしたら、カナダ側の一人が、チャイナも、と言った。その声のトーンに若干違和感?を覚えた私なのだが(反対という意味ではよもやない。言うまでもないが)、話がうろうろ続いた後に、私たちはなにか新しい組織を作らないとならないわけですよね、だけどそれは大変ですよ、ええそりゃそう、必ずしも一元的じゃなくて個々の問題でいろんな組織institutionsを、みたいなことを言ったら、そうしたら、あなたチャイナを抜いてるよ、という間の手が入った。意味的に、うまくやってけないところがあるよ、という意味だったかなと思う。これはカナダ側の人の発言。


ふと確認してしまったのは、次の2点か。カナダのリベラル系にとってチャイナは、こと人権問題に関する限り、すでに、もうやめてよぉそんなの、とリアクションしてもいいものになっちゃってるのね、ということ。oppressive regimeとか普通に言ってた。少し前まではいくらかまだカタイ感じだったはず。(時代によるんだろうと思うんだが)

もう1点は、このカナダ、国連そのものか、国連直轄領かというほど国連と一心同体派のように見えたカナダのリベラル(保守は部分的にはこの限りではないが部分的には似たりよったり)にとっても国連とは正統性に問題があるよねぇ、とフランクに言い出して全然いいものになっているということ。


大雑把にいえば、カナダ人が国際関係を語ると、アメリカについてくか、国連か、という選択肢が結構よく出てきたわけで、その中でこの数年はアメリカと同じじゃない!という主張を不必要なところまで繰り広げて混乱を誘っている状態(これはマジ)にある。従って、劣等比較では、アメリカが下がれば国連が上がるという構図ではあった。そしてアメリカと違うと言いたい病は特におさまったわけではないのだが、それでもこれなのか、という点に私としては注目したい。


America at the crossroadsについてはまたあとで。読んでない。今月は無理。ま、
End of History だから主流が変わるわけではないんだろうななど言ってみたいものもあるが。



と、どうしてもここでやっぱり、end of historyのことを、このひとの顔が出るたび思い出すひとは多いわけで、番組の司会のスティーブも、最後にといって手早くThe End of History and the Last Man の一節を読み上げて、今でもWestern liberalismが、この物質界をおさめる理想的な考えだと今でも思ってるか、と、聞いていた。するとフクヤマ氏は、oh, very much so, the end of history is a thesis about modernizationで、これ以外に代替案があるとは僕は思ってないよ、イスラム世界の理想とかプーチンが率いるところのものとかがこれに取って変わるってことはないと思ってるよ、と語っていた。


フクちゃん(これだ!)、普通に健全な考えだよなぁと私は思うのだった。普通に考えて、適当に多くの人を適当に幸せにできる可能性およびキャパがあるのは、少なくともチャンスだけはなんとか保持できるようにすることに専心しさえすれば、今私たちが暮らしてるような仕組みしかないっしょ、だって、と、私は思う。つか、こんなことって、それほど大変な問題ではないんだろうななどとも思う。だから、むしろ、多分、ここで誰かがそう言ってほしい、そう言う人は、Westで、ダブルにひっかかる白人ばりくその男、とかじゃなくて、フクちゃん顔のフクちゃんが適任だったということなのだろうなぁなど思う。
とかかくと、フクちゃんをおとしめてるみたいだが、そういうわけではまったくない。こういうポジで、該当者がアホだったらそれこそお追従者、になっちゃうから。


話はまとまらないが、日本に住んでいると、こういうのっておそらく、おそらく、カナダ人が考えもしないほどじ実にあっさり、まぁそうでしょ、コミュニストは部分的なアイデアとしてはわかるものはあったとしても政府をまかせるなんてあなた勘弁だわよ、と答えられるんだろうと思う。で、他に何があるのよ、と。


で、その事情はカナダだってまったく同じなのだが、しかしなぁ、ここで、「マルチカルチャリズム」(私としては、政治マルカルとでも呼びたい)で煽った人々がどうなるのか、ってのが今後の仮題かなぁとか思う。Westと言われると、ものすごい勢いで反発する人とかいるから。で、この反発を、政治マルカルは吸収する。しかし、じゃあ政治マルカルに何があるのかといえば、反米とか、反なんとか、というだけで、実際何かアイデアがあるわけではない。


思うに、マルカルを政治的に使って煽ってきた部分もなくはない(ある)カナダが、Westの価値観で、という話をふるのは嫌だ、だからフクちゃんに言ってもらう、などということも言えるような気がしないでもない(そんな意図の番組だったとは思ってないが構造的になんかなるほどと思っただけ)。