示唆と表示

今年1年で変わったことの第一といえばチャイナに関する言辞の自由度が格段にあがったということかななど思う。あちらが強気なのは変わらずとしても、なぜなんでもこちらは受け身にならないとならないのかと少なからぬ人々は思っていたわけだが、なぜだかそのままで「なければならない」というムードがあった。特に、この10年か15年ぐらいは非常にそうだった。昔からそうだと思っている人はおそらく若いわけで、いわゆる「慰安婦」や「南京」の問題というのは、今40歳以上の人にしてみたら、「実は」そうなのだと人生の途中から潜り込んできたものだったという記憶が(もし忘れていないのなら)ある。だから、なぜだか跳ね上がる諸々の数値にも、そしてメディアの報道の仕方にも、考えてみれば様々な違和感はあった。ここを先途として考えることが可能だし(結論の肯定、否定を問わず)、逆には、こういうタイミングがなく、人生の最初からそうであったのなら疑問を持つこともないのだろうかと思う。

しかし、どんな事実も、もしかしたら別の記述が可能かもしれないのだと疑ってみる習慣が育っていないとしたら、それは別の視点を受け入れることができないという意味で酷く反知性的なわけだし、別の視点を持った誰かと出会った時の処遇にも困る。それなりに、彼から見たらこうだが私から見るとこうで、で、どのへんが落としどころになるだろうかと言えるためには、相応の訓練が必要なものだ。原則を教えるだけではなくて、なぜその原則が生まれるのか、なぜそう記述されるのかの周辺状況ならびに、記述するとは、特定するとは、定立するとはどういうことか、への理解も必要になる。


と、そうだからこそ学校教育というのはとても大事なわけで、チャイナの子供が、日本を「デビル(悪魔)」と描いてしまうことになんの躊躇もないという事態は、日本人にとってだけではく、第三者から見ても、ただその状況だけで、これってへんだわな、だったというのが2005年の日本とチャイナに関する問題への第三者にとっての到達点だったかなと思う。


まさかそういう総括をしたかったからでもないだろうが、Timeがヤスクニを巡ってまたぞろ騒ぎになっている日本とチャイナについての記事を載せていた。


こっちはチャイナサイドからの「なぜチャイニーズは日本を憎みたいがるのか」

Why China Loves to Hate Japan
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1139759,00.html


答えは、春先と同じで、この選挙で選ばれてはいない中共のリーダーたちが政権の正統性について新しい何かを見つけるまでは日本はデビルのままだろう、というもの。


逆には、日本はなぜチャイナを挑発し続けるのか。
Why Japan Keeps Provoking China
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1139758,00.html


こっちの答えはそれほど簡単でもなさそうなのだが、まず一つは、日本が過去60年間、民主的で、平和的(pacifistという意味で)で、核も所有しない国としてやってきた。その上、第二次世界大戦に関しても、公式にも何度も謝ってる。さらには、1979年以来、330億ドルもの直接援助、技術支援、ローンを日本はチャイナに対して行っている、という点。

They point to Japan's 60-year track record as a democratic, pacifist, nuclear-weapon free nation, and say that Japanese leaders have apologized for World War II frequently and publicly. They also ask what the the more than $33 billion in direct aid, technical assistance and loans Japan has given to China since 1979 is, if not de facto reparations for past injustices.


この点は春先と同じだし、これについて文句のある人は今日あまりいないだろう。


しかしもう一点ついていて、これがなかなか興味深い。

もう一点は、日本人たちが靖国神社の「遊就館」の持つトーンというか理解の筋を持っているからだ、ということらしい。つまり、米国大統領フランクリン・ルーズベルトが日本へのエネルギー輸出を制限した、チャイナへの日本の侵略に抗議するとかいう話じゃなくて、イギリスを支援するためにそうして、それで日本を戦争を戦争に誘い込んだという筋を持ち、でもって、南京については、チャイナが負けて、多数の死傷者を出したという記述をしている、と。


このへんは日本の中でも、「遊就館」的見解に賛成の人もいれば反対の人もいるわけだし、靖国神社は、死者との約束ごとを守る象徴として機能していることは国民的に是とされているわけだが(異論はあるにせよ)、だからといって私的法人たる神社の見解をみんなが支持しているというものではないことを、日本人はよく知っている。が、外から見るとそうは見えないのかもなというのが、ちょっと気がかりではあった。


このへんはもっとよく見ると、日本の国内でも、神社の見解はおおむね反対ではないのだが、あの一種のトーン、表現方法、美的センスにぐったり来るという人とか、それが故に靖国と聞くとなんだかなと一歩引いてしまうとかいろいろあるんだろうなと思う。私は、筋そのものはいいとしてあの表現方法にぐったり来る口かもしれない。なにか、戦時中にあった漫画とか、少年クラブ風のものに影響されている人が展示を仕切っているのかとかいろいろ考えたくなるものがある。全体として、実は日本の伝統というより、戦後の劇画調なのではないのか、とかしばしば思う。


それはともかく、Timeが、チャイナとの騒動の中で「遊就館」の展示として書き出したものは、しかしながら、実のところ、チャイナと日本の見解の相違ではない。これは、英米仏または、実のところ、英米仏独かもしれない、結局のところ、the Westとでもいうべきそこと日本との見解の相違かもしれないわけで、私としては、この記事の筆者およびそれを載せた同誌の編集さんがそこをわかって書いているのかそれともまったく見当がついていないのかという点の方に興味がある。


チャイナが崩壊して行く時のひとつの見物、または考慮されるべき点には疑いもなく、第二次世界大戦およびそれを全体として仕切り倒した連合国の行動が含まれる。


表現されたものよりも、implyされ続けるものがいつだって面白いものだ。