しゃべるロバート・フィスク

しゃべるロバート・フィスクを見た。
中東を見つめて30年、どんな人なのかと20分間のインタビューを楽しみにして見た。明るい人というか、変な言い方だが、メチャメチャ冴えてる、正気の人だなと思った。そして説明するのが好きで好きで仕方がないという人なのだなという感じ。会話してて、相手が今自分が話していることが飲み込めてないなと思ったら、こっちからもあっちからも、いろんな角度から相手の理解を促し会話を続けようとする人がいるが、まさにそういう感じだった。インタビューの相手が、どちらかといえば若い筑紫哲也風の、つまり心情左翼風の人なのでどうなるのかと思ったが、フィスク氏の会話のおもしろさ、あるいはパワーが勝っていて、非常に面白い20分間となった。
http://www.tvo.org/cgi-bin/WebObjects/Microsite/?b?7913601133399040000


長々と延々と、ほおっておいたら一晩でも語る勢いで(しかしインテリなので、アジテーションは全然ないから聞く側は疲れない)、惨いといえば惨い、八方塞がりといえばこれ以上ないほどの八方ふさがりの中東のバランスを語っているところで、カナダ筑紫グレックがふと、「疲れませんか?」と言った。するとフィスク氏が、即座に、「No. My views change」と言ったのが私としてはハイライトだった。つまり、いいえ全然。私の見方も変わってきますから、つまりそれは興味深いです、と、つまりそれは、そういう男だからこそ30年もあの複雑な状況を見ていられるのだなと思わされた。


「The Great War for Civilisation」
http://www.harpercanada.com/global_scripts/product_catalog/book_xml.asp?isbn=184115007X
という本が出たそう。このたびの戦争あるいはこの地域を巡るものを、つまり、文明のための大戦、あるいは、文明化を巡る大戦と見ているということらしい。それだけなら並入り陰謀家がひとしきり騒いでいたわけだが、見てきて話すタイプの、ある種原型的なジャーナリズムの担い手であり、そしてまたそれをなし得る才能(あの明るさ!)を持った人がそれを言うというのなら読んでみたい。しかし、長過ぎだろう、これ。1300ページもある模様。


全然関係ないけど、数日前出たラッセルの「西洋哲学史」の中にあった下りで、非常に面白かったもののひとつに(ものすごくたくさんあるんだが)、哲学者というのは普通明るいものだ、なぜなら自分で好きなように、好きなだけ考えるのが仕事だからだ、というのがあった。この下りは、ショーペンハウアーを語る中にあったはず。つまり、哲学者としては珍しいんですよ、この暗さは、と言う感じ。フィスクの話を聞いたらこれを思い出した。フィスクの語り口は、上にも書いたようにアジテーションのない、心情で押していこうとするところのない(私の考えでは、それはダマシがないという意味かと思うわけだが)、見て、体験してそれを説明することに喜びを感じるタイプのインテリのそれだった。