2ちゃんで見かけた何げない中国ネタ三題

http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20051025



私がチャイナに関してしばしば思うのもだいたいこういう感じ。
私が会うのはエリートの人というわけではなくて、主に普通の、でもまぁ確かに大学を出てそれなりに専門的な知識があるか、少なくともそういう路線を追求できるか、さもなければ学歴はどうなのか知らないが少なくとも異なった言語および世界の中で仕事をするのに、書類を読んで理解して、交渉してという言葉を介在させるのに必要な知識を得るだけの背景知識を持っている人、というところだが、そういう人に私がここ、つまり、チャイナではないところで会っているというのは、つまり、上の人が言うモメントの結果として、出てきちゃった人たちがたくさんいるということだ。


どうあれ人口が多いんだから未来がないなどとは思わないけど、中期的、短期的には、残されたチャイナというのは大変なフィールドだなとは思う。


でもって、さらに大変なんだなと気づいたのは、出てきちゃった人にとって大陸チャイナの混乱というのは、もちろん人によるけど、ある種「折り込み済み」で、むしろ、飯の種ぐらいに思ってないのか?と思えることがあるからだ。つまり、北米で(日本ででもヨーロッパででも同じだが)、おお、それはチャイナでもっと安く作れますよ、どうですか、と商売をするチャイニーズというのはは、大陸での安価路線が進むのは望ましいと言っているも同然なわけで、これってさぁ・・・と、ガイジンたる私は結構複雑な思いで見てしまう。いつまでもそれじゃ駄目なんですからね、とは彼らは思うまいよなぁ、だって利益がかかってんだから、と思うわけだ。


9月の初めに胡錦濤国家主席がカナダを訪問した時に、地元新聞が伝えていたチャイニーズのコメントというのも興味深かった。とりあえず好意的なコメントしか載ってなかったのだが、その中に、大陸チャイナが発展するのはとても好ましい、なぜなら、そうしていけば、俺たちはもう貧乏な国の移民じゃないからだというのがあった。比喩がふるっていて忘れられないのだが、俺たち移民は、カナダに嫁いできたわけで、婚家が貧乏だったら馬鹿にされるけど、金持ちになっていけば馬鹿にされない、ということらしかった。


事実、チャイナと名がつけばビジネスに忙しい人々が、言葉は悪いがチヤホヤしてくれはするだろうから、それはまぁ嘘でもないのだとは思う。ただ、これも中長期的にどうなのかなぁと私などは思うのだが、しかしそんなことを言ったところで、自分に何ができる? 自分の子供の事を考えたら俺たちにはこういう選択しかなかったんだ云々と、ちょうど15年前ぐらいに東欧から来た人々が言って、このごろ下火になってきたそれと同じことが起こるだけだ。


<捕捉:大学関係者などから聞く話では、政府からお金もらって来てる留学生も、結果的には帰ったけど帰る前になんとかして移民できないか検討していた人もいるし、最終的にまた来るという決意をしてる人もいるよ、とのことだった。で揃っていうのは、なんせ国費で来る人なわけだから帰って当面自分の仕事はOKだ、だけど子供の時代のことを考えたらこのままでいいわけはない、と彼らは言うんだよ、ということ。

また、カナダ、オーストラリア方向へ、ではないが、別のカナダ人はこう言った。そりゃあんたら(私=日本人)が聞いたら、チャイニーズは、日本なんか日本なんかと言うだろうよ。僕が聞いても、多分他人がいるところだったらそういうだろう。だけど僕は断言するよ、家に帰ったらどうにかして日本かアメリカかカナダに行けないものか検討してる人が山ほどいるって。第一、僕はここ数年日本語をカナダで、そして短期間日本に習いに行ったこともあるんだけど、日本語のクラスは、チャイニーズとコリアンでいっぱいだ。これをどう考える?>


ということは、大陸のチャイナというところはどうなっていくんだろう・・・と、私は、自分が心配する必要があるのかどうかわからない、または、どう表現していいのかわからないことでしばしば考え込む。

そうして、たまに行くチャイナタウンやらその周辺で、あきらかに、ほとんどど一目でわかると言っても過言ではない大陸から来た人々を見るにつけ、こういうことが1970年に起こっていたら、ここまでの距離はなかったのではないのかなどと思ったりする。一緒に変化できただろうに、と。


そして、上の三つの話のこれが起こっているのは上海ばかりではないってのが、なんだかなぁということだ。

先週、上海出張から帰ってきたばかりだけど、ますます金持ち増えてたぞ。でも、貧富の差と環境問題はもうすぐ限界点だな。そろそろ、いつ爆発するかわからない段階に来ている。さらに問題は、都市部の比較的裕福な市民レベルでは、格差拡大や環境汚染が問題視されず、問題意識が薄弱なこと。「自分さえよければいい」って意識が強いんだ。


でもって、残りの1つ、

毎日どこかで「二極化が問題」「ニートを救え」「地球に優しく」なんて言っている日本とは大違いだよ。


というのは日本だけではなくて、カナダもまさにそう。ただ、ニート問題というのは寡聞にして聞いたことがなく、もっと大変なことだが、「ホームレスを救え」は冬になるたび大問題となる。マジの死活問題だから。



私が、非常な勢いで、多分度を超して嫌うのは、社会主義または共産主義という名の体制、すなわち偽善だ。ウソンコが過ぎる。このウソンコの最悪の点は、人々が寄って集まれば適当に是とされる(同程度に排除される)自ずからなる判断基準がぐじゃぐじゃになり、それによって、まさにその人工的な、なくてもいい混乱のうちに、自己発展的に淘汰されつつ、確立されるルール作りのための時間が奪われることだ。誰かが作った正しいとされる唐突なモデルを頭上に抱き人がその通りに動くよう条件づけられることぐらい甚だしく迷惑なものは何もない。完全な困窮より悪いと言う人がいても私は不思議とはしない。

そしてその間に生きた人々は、自分たちが発展解消したのではないルール、つまり納得していないルールを押しつけられるために、何かがうまくいかなくなった途端に、それを取りかえそうと、つまり誰かを恨まずにはおかない心理にさせられる。これは絶対の無駄。そして最悪の場合にはこの心理が、他者との信頼関係を醸成するという牧歌的に誰にでも備わっているであろう心理機構をめちゃめちゃにしうる。

以下略だが、あまり上手にまとまっていない、統治されていない土地で起こるコミュニストという名のレジームぐらい迷惑なものはちょっと思い付かないぐらいに、私はこれを有害なものと考えている。