朝日の妄想につきあう必要はない


朝日の社説。

そんな歴史観を持ち、A級戦犯分祀(ぶんし)を拒んでいる神社に、首相が反対をものともせずに公然と参拝する。その映像はただちに世界に伝えられ、「歴史を反省しない国」というイメージが再生産されていく。


というが、「反省しない国」に限らず日本についてなんであれネガティブなイメージを再生産しているのは、朝日ーオオニシーNYTラインなのじゃないのか? とはまずそう思うわけだが、実際にはその前に、その、まず、「反省する」という語に含まれるニュアンスが、実際にはあまり欧米には伝わってないと思うとはこの人たちは考えないのか?というのが私としては、奇異だ。欧米じゃないけど、私にもあんまり伝わってない。


反省する、というのを過去を詳らかにするという意味だったら、日本って結構「反省」好きな国だ、とは海外でもアメリカ人たちを中心によく知られてる。歴史好きなんだから。でもって、南京の時にも書かれていたが、日本で反論がないなんてことはまったくない。いろんな書籍が出版されてます、っいう状況は普通に理解されている。


が、朝日奉じるところの「反省する」とはこういうことではないのだろう。なんか、一直線に、自分が悪いと言うことを反省という語で表していると。つまり、謝れ、と。これは日本ではある程度市民権を持った「含み」だ。反省しろ、と言われれば、ごめんなさい、とすぐに出てしまうような。しかし、この「含み」はこの文化圏にいないと普通は理解できない。過去を知れと言われたから知ろうと努力しましたといって詳細な書類片手に歴史観をなしてしまうひとは、立派に反省しているとなるだろう。


とまぁ、しらばくれて書いているが、要するに、反省すると書いて、謝れ、という意味を朝日は主意としてきている。が、これは日本国内ではある程度理解されるのだろうが、その、マジックワードがそのまま翻訳されるわけではない。説明しないとならない。説明するとしたら、ここにあるマジックが解けてしまう。それは謝れという意味です、といわないとならないから。そして、自国の出来事を、普通の感覚では他者(外国)に説明する立場にある主要な新聞が、なによりもまず、チャイナにコリアに謝れ、謝れと言っているという図はそう尋常なわけでもない。


そういうわけで、なんか、朝日、つまんないこと言ってるなと思った。私たちは、このひとたちの妄想につきあう義理はないから、まぁそういうわけでと、ただひたすら、私にできることは、できる限り多くのひとに、朝日とは、よたった左翼残党なのだということを知らせ続ける襪海函?△覆燭