公教育の周辺

10日ぐらい前にfinalventさんが書かれていた記事がなんとなく気になっている。

NHKクローズアップ現代「歴史教科書はこうして採択された」雑感
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/09/post_0225.html


問題というか話題というかになった教科書そのもののことではなくて、教育委員会ってなんざましょ、というところにフォーカスがあたっていて、だからといってその制度がいかん、というのでもないが、それっていわゆるGHQの落とし子っぽいのね、というお話しだった。そうなんだろうな、となんとなくだが、わかる気はする。


私が興味深く思ったのは、しかし、こう、日本だと、そのパブリックな教育そのものへの疑問とうのは出てこない(出してる人もいるかもしれないが)。現在の公教育のあり方に誤りがあるから直せ、いいやこれでいいんだという枠組み内での論争があるだけ。

が、しかしアメリカって、ふと思えば、home schoolingとかいって、自宅で子供を教育するという人がいる。これはつまり、公教育そのものを信じてないっす、ということだ。


でもって、たまたま知ったのだが、この自宅学校で教えられている子供の数は、教育省からの公式の数字では85万人、しかし、自宅学校を支援する団体さんが言うには、200万人はいるだろうと言われているんだそうだ。200万というのは就学年齢の子供の4%にあたるそうだ。


で、以前には、これは違法だった。子供は学校に行かなければならなかった。しかしレーガン時代に、違法ではないですになって、現在ではほとんどの州で(教育は州の管轄、カナダもそうだが)違法じゃないんだそうで、そのうちのいくつかは、何を教えているのかを最寄りの当局ってのか、教育委員会なのかな、そんなところにお知らせする必要もないのだそうだ。完全に好きにやる、が可能。


となると、レーガンという名前が出たこともあって、キリスト教原理主義者、右のやつらが、とか言い出したくなる人も多いだろうし、実勢としては、現在のところおおむねそれっぽい人が多いというのは嘘でもないようだ。が、ずっとそうだったかといえばそういうものでもなくて、最初の頃こうした自宅学校を言い出した人というのは、むしろ左の人で、その人は、パブリックな教育は官僚的で産業資本主義っぽいから駄目だとか言っていたらしい。


どっちにしても、政府を信じない、タックスも払いたくない、教育も受けたくない、つまるところ、俺らをほおっておいてくれ、という人々はアメリカの根本に太く強く存在している。銃もそうだ。これがどこまで行くのかは疑問としても、日本、カナダ、ヨーロッパ諸国とアメリカの根本的な差異がここにあると言ってもいいんだろうなとは思う。

後者にあっては教育は義務のニュアンスをかもしながらも、権利だ、だから俺の好きなものをくれ、みたいな理解で発展しているとも言えるわけで、だから中でもめる。前者では、そんな権利はいらないから俺らで教育させろ、という人々がいる。彼らは自宅学習組に不利にならないような大学まで作り出しているらしい。となると、日本をのぞく、カナダ、ヨーロッパ諸国における大学が基本的にパブリックだ、というのとさらなる対立線が生まれているとも言える。