テレビの次世代を考える?


日本語を読む人々の中で気にしている人は誰もいないとは思うけど、カナダの事実上の国営放送のスト騒動はまだ続いている模様。8月15日以来本ちゃんの放送じゃなくて、臨時プログラム風に、はっきりいえば大幅に手を抜いて、できあいのドラマとか流しながらやりすごしてる(それはそれで面白い。私はB級ドラマ好きだから; ;))。

先週はあまりテレビを見る時間がなくて忘れていたが、そういやどうしたかなと思ってみたら、まだ鋭意お話し合い中らしい。先週は労働大臣ともあっていたそうだ。
http://cbcnegotiations.ca/scripts/index_.asp

前の記事。
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050916#1126815681


結局こうやっていくと、別になくてもいい局になってしまうということか。NHKもひと事じゃなかったりするのか・・・??

私の個人的な好みとしては、NHKは教育テレビだけ残してほしい。でも、今のじゃない。もっと実験的なやつ。

権威あるもなしもなく、上品なのもへーーーんな団体の番組もなんでもあり。そのかわりそうでないへーーーんな団体のも放映するというできる限りの公平さを追求する、視聴率関係なし、ってのが1局ぐらいあってもいいと思う。世界の際物となるか好評を博すかも気にかけない。ただただ、申請があったものに対して、時間と、いくらかの基準、例えば、リアルな殺人シーンを2秒以上見せてはいけない、みたいな視聴者のメンタルヘルスを考える制限など、だけをもたして、あとは、完全フリー。内容の精査はしない。嘘か本当かも問わない。参加自由ということになると同じ団体が3年ぐらいたたないと続編を出せないかもしれないが、それも気にしない。申請と順番を守る。いいじゃないか、これ。いささか柄谷行人風だが。


問題はしかし、ではそこで放映する意味があるのか、になって、結局誰も参加しないコンクールになる恐れもある。そしてそこで初めて私たちは知る。テレビで放映しようという意図を。でもそういう解説もしない。ここも判断フリー。ただ公平を追求してみる。どうだろう? 制作費補助は一律おしるし程度に長さあたりいくら、というのを出す。決してこれでもうけることなどできないという単価にすることも肝要。つまり、「時のない政見放送」とでもいったものか。

メディアとは何なのかを知るための格好のカウンターになると思うんだけどなぁ。意図のないブロードキャストなどない、メディアこそがメッセージだって、なんかありきたりなことにしかならないけど。