刀狩り

基本的には住民は重火器を持ってはいけなくて、持っていいのはオフィシャルな命令執行者だけにするぞ、というのが今日のニューオリンズらしい。今さらなんだ、という気は相当にするが、アメリカの特に中西部から南部ではこれはそう簡単なことではないだろう。「刀狩」を実施するには実施するだけの人的資源も必要だ。


New Orleans Begins Confiscating Firearms as Water Recedes
http://www.nytimes.com/2005/09/08/national/nationalspecial/08cnd-storm.html?hp&ex=1126238400&en=efe0a58b7fc8e12c&ei=5094&partner=homepage


でもって、退去しないとがんばっている住民の問題が昨日あたりからテレビに映されていた。
いろいろ理由はあるようで、無事なんだから出て行く必要はない、避難所暮らしなんかしたくない、ペットを残せないじゃないか、行方不明になっている妻は必ず帰ってくる、だから俺は家を捨てない等々個々にいろんな理由があるようだ。


特に誰かを避難したいわけではないしだからどうしたというのでもないのだが、避難しなかったのはできない人たちだったからだ、という初期に圧倒的な勢いで紙面、画面を飾っていた説は必ずしも正しくはなかったということになる。どうしても出ない、誰がどんな権利があって俺を追い出すのだと怒っている人がたくさんいた。


テレビで見た映像では、車の中に陣取ったまま絶対出ないとがんばってるおじさんが印象深かった。でもって、様子から見てちょっと普通の精神状態には見えなかった。これは水害のパニックかもしれないし、それだけでもないかもしれないし、どちらかはわからないが、ともあれ現状、常識的な判断ができなくなっていることだけは確かだった。暑いし、水もない、家ならともかく車の中だ。その時ですでに水害の日から4,5日たっているわけで、生きていたことがとりあえず幸運だったかもよ、という状態だ。が、それでも救援者(州兵のように見えたが)の説得に応じず、最後は、兵隊のにいちゃんたちが、車の窓をハンマーでぶち壊して引きずり出そうとした・・・がそれでも限界がある。出せない。で、さらに話を続け、結局、タバコでもどうだとなって、これが効いて、おじさんは車から出てきてボートに乗った。


おじさんの状況はあまりにも極限だったので、こういう「強制執行」は基本的にはどこに出してもとがめられることはないだろう。が、しかし、家に住んでいたら? これは難しい。で、結局、水を補給したりしてそのまま、要するに説得失敗になるケースもあったようだった。しかし、しかし、街が機能していない以上、この人たちの生活物資は、また誰かからの補給を受けなければできない。店がなけば物資は底を尽く。

ハリケーン被災、1万人が避難拒否…ニューオーリンズ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050908-00000417-yom-int


さらには、そこら中にまだまだある水そのものが、許容できるレベルを超えていて、健康被害をもたらすからできるだけ接触するなと昨日から報道されている。誰が考えてもそれはそうだ。

カトリーナ」被災地、細菌感染で3人が死亡

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050908-00000095-reu-int


もちろん、存外に早く水が引いていっている地域もあるようだから、一概には言えない。また私的なリソースがでかい人も大勢いる。が、基本的に街が機能していない限り物資の調達が難しいという状況は続く。その上持病があったり薬が必要だったらなおさらだ。リスクとしては小さいとは思うが(そうあってほしい)、飼い主を失った犬がものすごい数存在しているはずだがそれはどうなっていくのかというのもある。


結局のところ、本人が出たくない気持ちはよくわかるにしても、この状態、つまり個別に物資調達を援助するようなことを何千人の人に許すほどのリソースはあるのか? ということだ。強制的な避難強制が安上がりで、部分的にはフェアだということになるだろう(避難している人にしたって帰りたいだろうがある程度の復旧がない限り自分ひとりでどうなるものでもないと思って帰らずにいる人も大勢いるだろう)。


誰が俺を移す権利があるのだ、という問いに対しては、誰もないと言ってもいい。しかし、よくも悪くも、現代社会のコモンセンスは、危機にあっている人を見過ごしてはいけない、というものだし、国家は個人を守るものだ、などと言ってもいいのかもしれない。しかし、それは国家に自らの主権の一部分(たとえば、自分の妻が殺されたら相手の男を俺は殺したいしある意味でそれはわからない理屈でもないのだが、これを国家という集合体に分与する代わりに国家がそれを肩代わりする、私法の代わりに公法をという話が前提ではあるはずだ。


そういうことを考えながらこれらの映像を見て、そしてアメリカに住む人々の話を聞いていると、結局のところ、刀狩りの経験なく国家をやってるツケだなとかも思う。
少なくない人々は、物資が十分にいきわたってない、救援が間に合ってなかったし、今も十分ではないという意味で、「ここはアメリカか」と怒っているのだが、アメリカだからこそ起こり得たことも多分にある。


死体が転がってる街になっても退去しないと言い張る人をどうしたらいいのか。下の写真のおじいさんなんか腐敗してるからできるだけ接触するなといわれてるその水に漬かってるし・・・。

Macabre Reminder: The Corpse on Union Street
http://www.nytimes.com/2005/09/08/national/nationalspecial/08orleans.html?hp&ex=1126238400&en=a7ff2832a9df65b3&ei=5094&partner=homepage


当たり前だがそれこそアメリカ人が考えることで、私たち外にいる人にしてみれば、とりあえずどうでも使ってもらえ物資を届ける以外には何もできない。さらにいえば、アメリカのメディアおよびアメリカ人たちがここ焦点をあてる気は多分ないのかなとも見える。しかし、これがアメリカで起こっているのではなく、どこか他の国で起こっていたのだとしたらアメリカの世論は、強制退去、撤退、避難を人道的で効率的なことだと判断したのじゃないのかな、などとも思う。それがみんなを助ける最もいい方法だと信じています、みたいな。


カナダで聞いたラジオの、かなり言いたい放題の番組の中では、電話をかけて来た人が早い時期だったと思うが、強制避難の手続きを取れないことがまずこうなった大きな原因だ、これをなんとかしない限りまた問題が起こるとがなりたてていた。


また、今週月曜日に紙版が届くスケジュールのThe Economistでは、緊急時の準備についての問題は、誰が、もしかしたらニアミスかもしれない事態に備えて政府が人々を強制的に移動させる話に賛成するのか、この問題は批判するのは簡単だが解決するのは大変だ(概略)と既に書いていた。


日本の場合こういうことは、あまり問題にならない。それもこれも別に政府の権限が強いからなどという理由ではなくて、経験的に、みんなで避難するってそういうことだ、というのを子供の頃から叩き込まれているからなのだろうかなと思うし、そうなる最大の理由は、年中台風やら地震やらがあるからだ。ヨーロッパ人とその子孫には肌身としてはなかなか理解できないのかもしれない。

(とはいえ、全部ではないが、カナダ人を見ていると、そうでもないのかな、などとも見えるのだが、何が分けているのだろう?)


★参考
この項についての「圏外からのひとこと」さんのアプローチ。基本的に歴史的、現状的な理解としては私も同意。問題はその次どうするかの視点の取り方なんだと思うんですが、圏外さんからリンクを辿った内田樹先生が言及してらっしゃる通りの「左翼」の言動が、左翼とみなされずに、激しく顕著に見られます。いつも思うんですがアメリカこそ左翼理論が生き生きと生きる可能性のある地ではあったんですよね。この件についてはいつか稿を改め書きたい。


宇宙家族ロビンソン的過自助努力系(圏外からのひとこと
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050909


カトリーナのもたらした災禍
http://blog.tatsuru.com/archives/001212.php内田樹の研究室)