異なった人々

天皇が以前日本の植民地だったところに、日本人戦没者を慰霊する目的で赴いたのは終戦後初めてのことだ。太平洋戦争を起こした天皇の息子が、「天皇万歳」を叫びながら自殺した日本人を慰霊するとして海外に出かける様子に、戦争の加害国である自分を忘れていく日本が垣間見える。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/29/20050629000000.html


朝鮮日報なんだけど、この「日本」の中に、過去に生きた朝鮮半島出身の人々ももちろんいろんな思い、経過ではあったにせよ結果的にいえば含まれていて、ついでにいえば、日本に不法入国する人までいたらしいんだよ、といった認識は記者にはないらしい。なんでそこまで過去に生きた自分の祖先をおとしめるようなことができるんだろうかと私には不思議でならない。その辛さみたいなのを今生きる自分の恨みのエサにするんじゃなくて、どうして共有してあげられないんだ、と。


が、それは私という完全な他国人の考えであるから、彼らにはまったく関係はない。昔あった周縁はきれいさっぱりないのだから。


ここ数日のニュースからわかったことは、とにかく、大雑把にいえば彼らには「慰霊」という意味は理解されないらしいということ。カナダ人にもアメリカ人にもポーランド人にもインドネシア人にも、同じ言葉はなくともあるように見えるそれがすぐ海を隔てたそこにないことは、残念なことだが、それはそれで仕方がない。これは当面乗り越えることの難しい文化差かもしれない。いずれ遠い先にいってか、あるいはただ個別の誰かとの間で、どこかで分かりあえることがあるのだとしても。