雑感への雑感


西方の人」さんへのコメントで自由と民主主義のための戦いというアイデアに関してカナダに「影」がないと言ってふと思い出したのだが、2、3日前に読んだ隊長のこのエントリーはちょっとなんか、うううん、別の意味で「影」がなさすぎじゃないか。
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050504



韓国大統領がドイツで演説したことに関する雑感
http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2005/05/06_033113.html

私自身は、第二次世界大戦は日本を含めた枢軸国と連合国との戦争であり、特に我が国はアメリカとの戦争であるという認識のもとに戦後社会で生きてきた。


開戦の詔にもあるように、日本から見た時あれは英米+アルファとの戦争であって、別にアメリカとの戦争ではないでしょう。私自身はそういう認識だったし今もそうだ。もし、「戦後社会」がそうでないというのなら、それは「戦後社会」の認識の方が間違ってると私は思ってたし今もそう思う。

そして、ライス長官が来る前後からアジアでもグレートゲームが開始されようとしているというのが現状なのだろう。何よりも幸運だったのは、日本の大多数の領土がアメリカの統治下におかれ(そしてアフガンほかでも日本統治のノウハウは民主化モデルとなった)、東西ドイツのように分けられて東ドイツの窮状を味わうことも南北朝鮮のように不思議な国家構造に陥没することもなく、普通に次のゲームのプレイヤーとしての権利を持つことができたことにある。しかも天皇制は維持され経済はそれ相応に繁栄し60年近く戦争経験なしだ。


日本が分割されなかったのは、ま、確かに幸運と呼んでも別にいいだろうし、レトリックとしては私自身でも「lucky」という語をかませるだろうなとも思う。が、多分それは皮肉であり、かつ謙譲から言ってるかもなとか思う。どうして解体らしい解体がなされなかったかといえば、だってその前に統一体としての体裁が、ここにあがっているどの国家群よりも堅牢だったからってのもファクターとして見逃せないと思うんだが。


逆にいえば、それ以外の国家群は、分断政策に呼応してしまうファクターをそれ自身のうちに持っていた(ドイツの参謀使って戦争してたチャイナのうちの半分の勢力とか)か、それ自身として当時統合されてもいなかった(国共はまだ等価足り得るフォースだった)か、それ自身として近代的な国家として独立的な地位を継続していたとはなかなかいえない(ハーグにでかけていったが一蹴されてしまった朝鮮とか)か、さもなければ、「自由と民主主義の戦争(またはその類似を任意に)」という看板を高く掲げて話を締めくくろうと思ったまさにその時に起こっていたことが伝統的な侵略のしあいっこだったドイツ(ソ連軍が来ちゃったからそこはソ連のもの、とはつまり軍が進駐したらそこまでオレんちの管轄下ねというアイデアが優先されたってことだろう)、というファクターのゆえに、日本との比較において、アンラッキーだったということかと思う。少なくともそう考える余地はあるだろう。


が、隊長はそうは考えてみたこともない臭い。ってことは、日本はラッキーだったというアイデアが所与なんだろうかな、だし、それはつまり、いうところの「戦後思想」の中にある人という意味なのかと思う。別にそれが極めつけに悪いというつもりは全然ないけど、私は、事態を解析するにあたっての「戦後思想」モデルって欠陥品だと思う。ソ連ファクターに対するバリューがえらく小さく、かつ日本の堅牢さ、または頑固さ、または馬鹿さ加減みたいな要素も勘案されてない。なんかガイジンの考えたアイデアみたいな気がしちゃうぐらい。


時々考えるのだが、もしソ連が北海道から侵略を開始してきたとして、日本って米ソの代理としての内戦をしたんだろうか? もしこの確率が低いのなら、日本ラッキー論は、概算としてはいいとしても、実質的にはたいした意味がないような気もする。