趙紫陽・元中国共産党総書記が死去、85歳

趙紫陽って名前が女優みたいだと思っていたのだが、 Zhao Ziyangだとただ読みにくい(^.^;;。チャイニーズの英語表記と日本での漢字+よみをマッチさせるのは本当にシンドイ。昔、中国に多大な興味を持っていると自他ともに認めていた私の友人は、チャイナのどこだったか結構奥の方にまで足を伸ばして、そこで会った西洋人組に、詳しいぃ???と大きな疑問符をつけられっぱなしで歯ぎしりをしていたらしい。つまり共通語となるのは高確率で英語なのだが、極端にいえばマオツートンと言われても咄嗟に反応できなかったりして(慣れて以降はともかく)、多いに知見を疑われたということらしかった。彼女はその後広東、北京官話の順で習得していた。語学の才の充実した人なのだな。


Ousted Chinese reformer Zhao Ziyang dies
http://www.thestar.com/NASApp/cs/ContentServer?pagename=thestar/Layout/Article_Type1&c=Article&cid=1105917010524&call_pageid=968332188492&col=968793972154&DPL=IvsNDS%2f7ChAX&tacodalogin=yes


かなり長いが、人となりというか重要点をさらえるAPの記事。で、まぁ天安門以降そうとしかならないわけだが、好意的に書かれている感じか癲

趙紫陽共産党をゆるぎなく信じていたことは知れらていたが、彼の社会主義の定義は毛沢東や他の左翼たちとは非常に異なっていた。

1979年に彼は「そうです私たちはもちろん社会主義者としての路線を維持しなければならない。しかしでは社会主義とは何です? 社会主義の特徴とは、生産手段の公有化であり、社会主義の原則は、それぞれが自分の働きに応じて、ということです。」と語っていた。

(川上試訳)


といった文章がなんとなく、今のチャイナにはとても皮肉だし、当時でも結局そうだったのだろうが、このへんの80年代で公式なとこから姿を消した人びとは、当時でもホントウにそれがその地で成り立つと思っていたのか、それとも、それは多くの建前の1つだと思っていたのか。そこらへんを知りたくはあったな。



天安門の後しばらく経って、あまり世界の政治状況などに興味のない、あるいはあまり知識のない友人の一人が、トーショーヘイの、いわゆる「先富論」というのか、豊かになれる人は先に豊かになれ、という語についてもの凄く腹を立てていたのを思いだす。彼女が言うには、こんなことは政治家の言うことではないでしょ、だって! 先に豊かになれじゃなくて、先に考えろとか、みんなのことを考える余裕を使えとか、そういうことじゃないのか、ということだった。彼女自身が覚えているかどうか知らないが(今度聞いてみよう)、私は彼女の勢いに、かなり目を覚まされたような気がした。


資本主義世界の政府はむしろこんなことを言うわけにはいかない。この皮肉をどうするよ、でもあるしここにある錯誤が整理できていないことがこの皮肉を皮肉にしない訳のわからない言論の元なのではないか。そもそも資本主義の世界とか社会主義の世界という分け方は政治的な文脈のみでしかないのに、それを政治、経済、文化すべてにあてはまるかのように言い散らかすことは、20世紀最大の錯誤ではないのかと私は思う。もう一つの世界などない。あるのは同一地平面での試行錯誤だけだ。