東京・クリスマス・31歳・生きながらの矛盾
隊長の周辺が大変らしい。
泥沼化する馬鹿に捧げるエントリー
http://kiri.jblog.org/archives/001293.html
私がここで事態を解説するのも野暮なのでやめるが、これはやっぱりクリスマスがもたらした一種の病態ではなかろうか。東京の女と男の話だわ。とっても。ドキドキしながら読んでしまった。
といっていわゆる男と女の話じゃない男と女の話ってところが、実にまったく東京。
でもこうやって東京の魅力再発見とか書いている私が東京に戻ったところで私はそこにはいない。30からまりの男と女ってのでなければ成り立たない事象ってある。
いい。とっても。隊長は大変そうだが、いやしかし、振り返ってみればそれも肥やし、とは言えない最後の時間こそが30歳からまりなのではなかろうか。
そこを成りゆきでもつっきると、どうしようもなく、人生ってたとえ一日でも先はあるし、今までの部分は過去なんだな、となんだかとてもわかるようになる。しかしこれは年を取ったという意味とは異なっているように私は思ったりもする。そうではなくて、多分、諦念とは「時」を知ることだ、みたいな感じではなかろうか。
で、子ども時分から過去を了解できる人、つまり時を知る人にはなんかこう、愛がないかもしんないな、などとも思う。
[追記]
朝方叔母の電話で起された。半日違うって覚えてほしいぞ、い〜かげん。
成りゆきで起きてさらに隊長ブログを読む。コメント欄の真面目なことといったらどうだ。面白いというのも憚られるが面白いものは仕方がない。
281 名前: ななしさん :2004年12月26日 17:36 [RES]
>私は私の事情と私なりのコンプレックスを抱いて生きて
>いることを理解せず私の心情に土足で踏み入ろうとする
>紳士淑女が嫌いだこんな事かかれてまだなんか書ける奴は凄いと思うよ
この感じが垣間見える人間山本一郎氏なのかと想像。やっぱり惹かれる。