共同通信的事情を考える?
一昨日のエントリーで、あれこれって事実関係以上に配信社(共同通信)の「解説」がすりこまれてないか、この記事、と書いたら、この件でもりあがっているブログがあるとのコメントがついていた。どうもありがとうございます。
Irregular Expressionさんの、
日韓首脳会談における北朝鮮制裁報道
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog
これはアーミテージ氏が北朝鮮に対する日本の制裁についてどう考えるか、で、最初の共同通信記事で、慎重にと書かれ、俺の発言の真意は伝わってないぞぉ、と言ったことから、各紙が別のことを書き出したという件。
こっちは、「韓国支配から100年の節目の年でもあり」という町村外相の発言が、なんかこう、書かれ方によってすんごい変質にあっている件。これはチョソン・ドットコムが伝えていて、でもなんか引いた書き方してるなぁと私も見ていた。日本国内での奇妙なもりあがりが、なんだか韓国に迷惑がられてないのか?という気がしたぐらいだった。前にも書いたけど、なんかこうへんなことしているのは実は結局、その最大手は日本の中の一部なんじゃないのかとの考えを強くするよ、こういう流れを見ていると。
またまた物議を醸したがっている共同通信ですが
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20041218
[捕捉]
練習問題のように解きほぐしてみよう。
とても短い記事だし。
「韓国支配から百年」町村外相(共同通信)(@nifty=共同通信)
[共同通信社:2004年12月16日 13時55分]
http://newsflash.nifty.com/news/tp/tp__kyodo_20041216tp004.htm
町村信孝外相は16日の都内の講演で、日韓国交正常化40周年を来年迎えることに関連し、「100周年の節目の年でもある。韓国支配の第一歩は1905年だった」などと述べた。歴史的事実とはいえ、植民地支配を肯定する意味合いに取られかねないだけに、17日の日韓首脳会談を前に物議を醸す可能性もある。
前半の1文は、町村氏が述べた事柄が殆ど。相手は発言という言葉だから、観察者の視点による変化はほぼ無視してもいい。次に、これを聞いたか見たかしたこの記者は、この発言を「歴史的事実とはいえ、植民地支配を肯定する意味合いに取られかねない」と考え、「17日の日韓首脳会談を前に物議を醸す可能性もある」と予測している。だから記事の半分は、記者の考えだしこの考えがあればこそある特定の発言がニュースとなり得ると判断され、社はそれを許諾した、と。
それは別に悪いこと、やってはいけないことではない。ある殺人事件が起こった時、たとえば「類似の事件がこのところ重なっているだけに、付近住民の動揺は避けられないだろう」と書いたとしても問題はないだろう。
しかし、1905年は韓国支配のはじまりだった、という文言は、単なる事実にしか見えない人も当然いるだろう。
そういうわけで、韓国の新聞がほとんど速攻で、
日本 外相 「来年 は韓国 支配100周年」と妄言( 中央日報 )
http://japanese.joins.com/html/2004/1217/20041217155655200.html
と書いて、ここにいたって町村発言は「妄言」となることはなったが、しかし、最初の文を妄言というのはちょっとむずかしいと考えたのか、事実関係を整理した後、
これと関連、 共同通信 は、 外相 の発言が、 植民地 支配を肯定する 意味 に受けとめられ得るため、17日に予定された韓日首脳会談に悪影響を与え得る、という見方を示した。
原点の第2文を、発信者である共同通信のものと彼らは書いた。つまり、不特定多数の見解=客観性の高い言辞と認めていないとい意味だとも言えなくもない。ちなみに、客観性のある言辞とはつまり、obviousで、同じ条件下で反証の可能性が著しく低いものなどと言い変えてもいいかもしれない。
次に、中央日報は、
日本 外相 の「植民地正当化」発言、事実と異なる(中央日報)
http://japanese.joins.com/html/2004/1217/20041217181357200.html
ここでは原点の第一文は、「植民地正当化発言」という見解で迎えられている。
しかし、彼らはこれをそのまま放置はしなかったようで、
外交通商部(外交部)当局者は17日、 町村信孝 外相 が韓国 への植民支配を正当化する発言をした、という 一部 日本 メディア の報道 について「日本政府が、全く事実と異なると公式釈明した」と伝えた。
日本政府の見解を添えている。この流れは、言い方を変えれば、共同通信の第2文は韓国という、原点1発言の向かう先の中で最も敏感な当事者によって、無意味化されたと見てもいいかもしれない。
もしこうやってコリア勢の報道を見ることがなければ、私たちは、海の向こうの反応を、どうなっちゃうのかな、と待っていたかもしれないわけだが。
ま、この、マスメディアって伝言ゲーム的であることを与件として成り立っていることから考えれば、原点記事の「正当さ」だけで語ることは無理があるということかもしれない。