TIMESアジア版:アジアの奇妙なカップル

今週号のTIMESのアジア版は、日本と中国についての特集。


Asia's Odd Couple
The region's future depends on whether China and Japan can get along. Are the countries' leaders up to the task?
http://www.time.com/time/asia/covers/501041129/story.html

アジアの奇妙なカップ
この地域の将来はチャイナと日本がうまくやっていけるのかにかかっている。両国のリーダーたちは役割を果たしているか?


奇妙なカップルとでも言ったものか、へんな組み合わせとでもいうか。

この記事の導入はなかなか興味深い。日本はかつて中国の属国だった。しかし607年に聖徳大使が随の皇帝に、うちが日出るところ、そっちは日の沈むところだよと言ったという、日本人なら誰でも知っているその話からはじまっている。まぁ今日聖徳太子はいなかった説があるくらいだからまたぞろ苦情が出たりするんだろうが、私自身はまったく気づいていなかったが、冊封体制にあったけどだからどうだ的ないい加減な付き合いをしてきた日本、江戸時代に日本を訪れた朝鮮の使者たちが驚き倒していたという「野蛮」な世界の日本というか、いやこれも苦情があるんだろな当時日本ではありません、みたいな、じゃあとにかくこの列島を主体とした空間と中華帝国との関係を物語る適切なエピソードだったのだな。


別に「いつ」という時点がこれよりもっと遅くなってもいいし、そんなことはどうでもいいんだが、とにかく、分かれて育った人でしたというのを現すための上手い材料ではあるだろう。で、だからこそ日本が経済成長を遂げている時「rising sun」と呼ばれていたんだよね、きっと。どうしてそう呼ばれるようになったのか経緯を私は知らないのだが、よく考えれば随分凝った名前だったのだな。
(そうか、であれば、聖徳太子は実在しないって、中華帝国冊封体制派が推進したいアイデアだ、とも言えるわけか。どっちでも全然いいが。)


Respect and Resentment
http://www.time.com/time/asia/covers/501041129/chinajapan_japan.html
敬意と憤慨


これは、日本の世情なるものを日本の学生がどう話してるかをモニターしてうまく拾ってる。日本の中にある、中国の古代史が好きだったり、あと戦争中に中国大陸にいた祖父母が中国人が親切にしてくれたというのを今でも思いだしたりながら、私たちはよくないことをしたんだという方向に考えを進める子、そうだけどそんなこと言ったってなんで私が、そんな昔の人のことでguiltyなんだ、 罪悪感を抱かないとならないのという子がいて、だんだんと60年以上前に起こったことで始終謝れと言われていることに堪えられなくなってきている。で、原潜の問題が出て、すぐにヤスクニという反応が出る。政治的な問題だとなる。

しかしこの問題の背景にあるのはこういうことだと著者が口語調で語るのは、謝ったし、経済援助もした。でその結果は、経済が伸びて、それと同時に軍事費も伸びて、宇宙プログラムですか、そりゃどうも、もうこれっきりにしてくれよ、だと。


そういう日本からの発信に対して、では、チャイナはどうか。次がそれで、「愛国ゲーム」とある。

Patriot Games
Stoked by nationalism, a new generation of Chinese feels growing hostility toward Japan
http://www.time.com/time/asia/covers/501041129/chinajapan_china.html


コンピュータを操る、若い前途有望な青年、友達には弁護士やジャーナリストがいるという青年がanti-Japanのサイトを運営している。ヤスクニはいけないといってはデモの呼びかけをして、日本が常任理事国入りをするといっても抗議、日本の新幹線を導入かとなったら抗議し「私たちが政策を変えた」と言い、日本製品のボイコットを呼びかける…。それは一体どうなっているのだと記者はその理由に踏み込み、いわゆる「愛国教育」について語る。以下、試訳。英語を読む人は自分で読んでほしい。

                                                                                                                  • -

1989年、手に負えなくなった社会の亀裂を天安門事件が露わにした時、教育省は学校教育における、いわゆる「愛国教育 patriotic education」の取り入れを増やし、その多くは日本が戦争中に行なった惨い話に集中した。日本が、中国への直接支援として---実質的に戦争の賠償として---年間10億ドルを寄与していることや、北京や武漢の空港は日本の支援で建設されたことについては何も言及せずに。

「私たちの歴史教育は憎しみを教えることに焦点をあてています」

上海を拠点に活躍している小説家で、ナショナリズムがどのように国の若者に影響しているかを語っているGe Hongbingは言う。

「その憎しみはすべて外国人に向けて外に向かいます。特に日本人に向けてです。」


ある中学で使われている上海教育出版社制作の教科書では、例えば「抗日戦争」(第二次世界大戦 は中国 ではこう呼ばれている)については28ページが割かれているが、10年に渡り国中を カオス に陥れた 文化大革命 については2ページ以下が使われている。2000万程度の チャイニーズ が死ぬ結果となった飢饉を引き起した「大躍進」についてはただ「農業と産業の浪費 waste 」とだけ書かれている。

そうであれば無理もないのだが、今年のはじめ、戦争で亡くなった人びとに敬意を払うために上海の墓地にいたティーネージャーは歴史に関して歪んだ見解を持っていた。元気いっぱいの14歳、Chen Tingtingは言った。「日本人によって多くのチャイニーズが殺されました。しかし文化大革命中に死んだのはわずかな文化人だけです。」

                                                                                                                              • -

(川上注読みにくいので改行してます)


いろいろ読みどころの多い長い記事だった。別に私が日本人じゃなくても驚く話ではある。


[捕捉]
北米、あるいは英語圏において、今までこの問題は「開いてない」みたいな感じだった。つまり、色々異論、憤激はあるにせよ、たとえば「日本は侵略者で中国は被害者なんだから誤るのは当然ではないか」、と水を向けられたら概算で非常に多くの人が「そうだわ」と言う。しかしこれは文言のレベル。

一方これが、個人のレベルに落とされた時、別の様相を見せる。60年前の出来事を今の少年少女が謝るの?というのでまず1つ。それから、まさかの逆転現象が起こる。個々の日本人に対して面と向かって怒っている、怒りを向ける人が出て来た(サッカーなどがその例)。そうなるとそれは、チャイナvs日本ではなくて、実際には個人A vs 個人Bの問題となる。個人Aが自分が関与したわけでもないことで個人Bに「誤れ」でも「オマエは悪い」でもなんでもいいけど罵倒されるとなると、それは極論すればBのAに対する差別的行動、それも人種に基づく差別行動となる。わかっていただけるでしょうか。市民社会の中で、まさか、自分がおかしてもいない罪で罰せられることがあり得るとはできないでしょ。そういうわけで、チャイナ単体でも問題でしょうが、異文化の切断面が多い中では、こういう展開になったら、人びとは引く。他に手はないから。


個人的には、サッカーという世界中の人びとが注目する競技の中の一光景が世界中に伝わったことは、当時は小さなことに見えたかもしれませんが、チャイナという堅い殻が大きくぱっくりと口を開けてしまった出来事だったかもしれません。ま、その前にグローバリズムのおかげでビジネスで現地を訪れる人が多くなれば、人はどうしたって個人レベルでの考え方や態度を問題にすることになるから、「憎悪」を教えるような教育を好ましいとはやっぱり思えないだろうと思う。しばしば、hate languageをやめろ、それでは何も解決しない、という言い方が使われる北米だし。