アイリス・チャンという小見出し

Chinese American writer found dead in South Bay
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/chronicle/archive/2004/11/11/MNGB59PKL01.DTL


Author described as 'exhausted' before she was found dead
Chang had breakdown earlier this year while researching Bataan Death March
Heidi Benson, Chronicle Staff Writer
Friday, November 12, 2004
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/chronicle/archive/2004/11/12/MNGTJ9QGVV1.DTL


サンフランシスコ・クローニクルが11, 12日の両日に記事を出していた。こんなに影響力が大きくて大事な人を失って悲しいという話と、アイリス・チャンは次作予定のいわゆる「バターン死の行進」の取材をこの夏行なっておりそれでとっても疲弊していたのだという話。


[捕捉:捕捉するまでもないが、あちこち見た様々な記事には、南京大虐殺という虐殺事件を扱ったレイプ・オブ・ナンキンの著者であり、と書かれ、その際の数字は決定稿のように30万人。そして、日本では右の人の反対があるとある。]


ここまで丁寧に書かれると、自殺説に疑いがあるのかと逆に勘ぐりたくもなる。ってか最初っから、あれ、と思った人は多いだろうが。ともあれこの地区のシェリフは遺書があったのかなかったのかを含めて状況を開示しないとしているそうだ。それはなぜなんだろうかについての言及はなし。もちろん良心的な措置と考えることもできる。


私はこの人の本の誤りをどうしても訂正してほしかったので、亡くなってとても残念だ。

また、いくら身びいきとはいえ、これら誤りが多いことが知られている本によって影響力を持ち、話題を喚起したのはとても良いことだったと単純に言う人たちがアジア呂凌佑咾箸里燭瓩鮖廚?佑咾箸涼賃里覆鵑世修Δ世?△發桂榲?砲修鵑覆海箸鮓世辰討い襪里覆蕁△箸鵑誠佑燭舛世覆△鵑燭蕁△箸靴澆犬濟廚ΑM?召砲覆辰燭?號?个覆里世蹐Δ?F邉?任 態度 を大きく保留した アメリカ 社会 が、次の チャイニーズ ・アメリカン もので酷評したというのを、もしかしたら、 差別 だぁ、ぐらいに取っているのだろうか。このへんの「応援団」の存在が気になるところだ。


個人的には、マイノリティであればあるほど、フェアであることを最大限に主張というか、実践していかなかったら信用を勝ち得ることはできないと私は考えている。


フェアではないから改善しましょうと訴えることにマイノリティも糞もない。そこをちょん切って、マイノリティの権利をと考える向きとは私はどうしても同調できない。まったく。さらには、先祖が苦労をしたから私にベネフィットをという考え方を私はどうしても承服することができない。それは、苦労した人が抗すべき問題で、残りの人はどれだけ悔しくとも支持するための第二列までしか進めない。従って私は、予想されるように、アファーマティブ・アクション系一般に関しての熱心な反対者である(どうしても必要な場合としては、時限立法とし、改善点を明確に、説得力のあるやり方で一般に提示し賛意を求めるという方法なら賛成する)。



そんなことはともかく、まぁ今般の彼女の死についてはこれからきっといろんなことが書かれるだろうが、「レイプ・オブ・ナンキン」の寿命というのは、とりあえず尽きてしまったといってもいいのではないかと私は思う。それは別にあの本があまりにも誤りが多かったからというのだけでもない。誤りがあの半分でもダメだったのじゃないかと思う。というのは、あの本が1997年のアメリカで「受けた」一つの要因は、本筋としては、チャイナ万歳、その翻しでの日本バッシングではなくて、アメリカにとっての避けたい事態が降ってきたところへの、ちょうどいい「癒し」、そして、ちょうどいいレッド・ヘリングだったのじゃないのかなと思えたりもするからだ。


1997年の前の1996年には、核兵器の使用を国際司法裁判所で裁くという試みがあった。で、「核兵器は一般的に国際法に違反する」という勧告意見が出た。日本でもあっちでもこっちでも騒ぎになった。というのは国としてコミットせずに、広島、長崎の市長がそれぞれの立場で証人として出廷するという半端といえば半端なものだったから。で、その後今度はスミソニアン博物館で原爆展をするのしないのでもめた。結果できなかった。


この流れを受けて、日本ではアメリカが全体としてこれを拒否したと、とても「強い」アメリカを印象として受け取ったような気がするのだが、その当時のNYTimesなどでは、確かに、日本とのことは戦争があるのでちょっと態度は保留だが、核開発で被害にあってるのはアメリカ人も同じだと、あっちでもこっちでも「ギニア・ピック」にされてきたぞ、という人が証言というか取材に応じていたのを私は記憶している。たしか1997年の夏頃のNYTimesの付録のマガジンだったと思うが、特集が組まれていて、その論調はいささか大仰にいうならば、殆ど、国家としてのアメリカを裁く会、みたいな感じにさえ見えた。私たちは国家にやられっぱなしだ、みたいな。(このマガジンはあまりにも印象的なので保存している)


私はこれをニューヨークで読んだ時、ちょっと行き過ぎじゃないのか?と実は思っていた。言いたいことは分かるのだが、いくらなんでも、今生きてるアメリカ人にとって気分悪すぎないか、こんな断罪の仕方ってってと思ったから。


つまり、1995年は戦後50年で日本でも、この間書いたようにちょっと過剰なまでの「振り返る」作業が行なわれていた。その時アメリカもいささか時期はづれていたが、今から考えれば似たような感じだったのだと思う。原爆は「終戦を早めるためだった」に異論が付されかなり深刻に受け止められ出したのも、ルーズベルト真珠湾を知っていたらしいじゃないのか、なる言辞が人口に膾炙するようになったのもこのへんからだと思う。つまり、ここで、俗な比喩をすればアメリカ版「その時歴史は動いた」は放映されてしまっていたのだ。(アメリカ人は何も知らない、と書く人の言を迂闊に信じてはいかんと思うよ。少なくとも、ポリティカル・サイエンスあたりの本棚にどんな本が置かれているのかをチェックしてから何か言ってね、って感じか。)


で、「悪いのは日本だ」はこの衝撃に耐えるための、飛んで火に入る夏の虫だったのじゃないのだろうかね。もちろんこのことは、チャニーズにとっては異なっているだろう。彼らの主観的な意図は、ようやくアメリカ人にも知らせることができた、なわけだが、そもそもアメリカ人が知らない事件だったというのはウソなわけで(南京事件を知らせたのはアメリカ人の記者だ)、実際には歴史事情について詳しい人も相応にいただろうと思う(だから、ベストセラーであることとNYTimesで褒めちぎられたことを遠慮しつつも、この本は反論され得るし、そうなる契機も宿していたわけだ)。


それにもかかわらずこれが売れたのは、やっぱ「癒し」じゃないのでしょうかね。ほうらやっぱりジャップは悪い、というのは、全然論理的ではないのだし、事象から言っても整合性のないことがあるのだが、でも、気持ちはいいし、これならこれでいい、とは思う人は少なくないでしょう。ま、政治的な筋としても、このへんでムードが作られることは国連創設以降のいわば「決定稿」なんだからこのままにしたいってのもあるだろう。


そういうわけで、まず、「レイプ・オブ・ナンキン」が引かれる時に見られることのある、こういう日本人だから原爆が落とされても仕方ないんです、なる説話方法は、別にチャンの開発品ではなくて、1997年にとってとても「求められて」いたものだったのではないのかと言えるだろうと思う。そしてそうならば、もうそれは、もしかしたらもういらないか、少なくともその程度のものでは「癒し」は可能ではないところまで来ているか、どちらにしても、「レイプ・オブ・ナンキン」は足らないものになっている/いた、と私は考える。


蛇足ながら、チャンから今までの間に、「パール・ハーバー』なる映画があったことも忘れられない。で、これは、すぐ数カ月先の911で、多くのアメリカ人が口をついて「リメンバー・パールハーバー」を言えるための、ちょうどいい予行練習になっていたかもしれないわけで、あまり言及されませんが、いやぁ、素晴らしい偶然だったのでしょうか(笑)。


と、そこらへんを細かく観察すれば、おそらく2つのアメリカ社会もしくはアメリカをリードしたい人びとの群れなるものが帰結されるのかなと思う。互いに他を利用しながらも。