bodyがあるからわかる話

共同通信「人質殺害」と誤報=「情報の判断ミス」と説明
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/japanese_detained_in_iraq/?1099048589


時事通信が書いているってのも一応気にとめるが、むしろ同業者として記事にしてやんないとな、だったんだろうなと想像したりする。

だって、誰かが書いた時それは「事実」になり得る、または、「事実」の方へと歩を進めるから。


簡単な例でいえば、「私はAに殴られて、Aが私を殴ったのはレイシズムだ」とBがCに言った時点では事はまだ、奇妙な言い方だが「未決」だ。これを、CがDに言った時、Bの言明は取り返しがたくなるし、「事実」言明はある。が、もしかしたらBは明日になれば、イヤ別にレイシズムだと言うわけでもなかったかもしれないけど、でも、単純に言ってAは私を嫌いだったのよ、と言うかもしれない。が、先の「言明」は残る。そしてCの伝達力が大きかった場合、後追いは多分間に合わないし、まったく難儀なことに言明があったことと事実があったことを取り違える人も少なくはない。例えば「だってBはそう言ったのよ、私はそれは本当だと思うわ」というパターン。ここにある誤りは、この感想者Eが感想しているのは、事ではなく、Bの言明でさえもなくBとCの間にある言明だし場合によってはCの言明かもしれない。Cというこの中間項をメディアという、ってことでしょう。従って、メディアが「事実」という名の言明事実を作っていると言える。

が、bodyを動かすことは誰にもできない。従って、Cはもしbodyに関わるものでないのなら、多分いつまででも事実はあったと言うことができるとももちろん言える。


香田青年はきっと今ごろどこかで恐怖したり困惑しているのだろう。ワーホリの期間も残り少なくなっているだろうが(ワーホリで来てるあんちゃんによれば通常1年で延長はできなくなったらしい)、今度はNZじゃなくてトロントから初めてみてはいかがでしょうかね。いろんな場所に行くことが世界を知ることだというのもウソじゃないけど、いろんな人に出会って悩んだり考えたりする体験も同じだと私は思うよ。「セカンド・カップ」でコーヒーぐらいならおごります。(Second Cupはトロントに来たら目につかないわけにはいかないありふれたコーヒー屋の名前)