援助と泥水と腹をすかせる人びとと

ハイチでハリケーンによる死者662人に、今後も増加の恐れも
http://www.excite.co.jp/News/main/20040922093821/JAPAN-157693-1_story.html

昨日の夜のトップニュースはこれだった。
これどうしたらいいわけ?と多分誰しも、ただ口をあんぐりだったのに違いない。
ここ数日間、トロントスター(カナダで一番部数の多い新聞)は連続してこの写真などを掲載していて、私は実は、ある朝新聞を広げた途端その一枚の写真が目について、なんかのパフォーマンスの写真なのかと咄嗟に思ったのだった。

まったく酷い話なのだが、17, 18の青年と少年の間みたいな男の子がぽつねんと立っていて、彼の頭から手足から写真内に収まった全身が粉を吹いたように真っ白になっていて、それが私には咄嗟に、けばけばしく化粧をした図に見えたのだった。

しかし次の瞬間その 写真 の背後が泥水をかぶった、別に洪水があろうがなかろうが非常に貧しい、あるいはちゃちい家屋と呼ぶのさえ考えてしまような、そういう言い方もなんだが小屋というべきものに見えるそれだったことと、すぐ上にあったハリケーンの文字で、ああ、泥水被った後なわけね、と納得したのだった。

まったく酷い私だが、この写真はやっぱり貴重だったなと今は思う。ただ洪水があったとうだけでは伝わらないことを伝えている。頭っから泥水被るような話だったのね、と。(文字情報からちゃんと想像できる人ばかりではない、のではなく、誰だっていつなんどきでもそうだとは限らない)

で、そういう状況に対しての援助というのが、なんつーかやっぱり文字情報的、あるいは数値的であることがこの悲劇を増大させているようだ。つまり、「援助をする」という全称命題が遂行さえることと、今現在のヘルプになるか否かは別なのだなということ。豆だのなんかの食料だのがどっさり送られる算段になっていて事実送られているのだそうだが、nothing is cooked!! なんにも調理されてない、水は泥水、ってわけで、援助にもかかわらず、人びとには水がなく腹をすかせているのだそうだ。

夕べ テレビ でやってたから、きっとなんか異なった対応が考えられているだろうと期待する。

なんせこのへんの少なからぬ人びとは、イラクで 戦争が起こった、ショック&オーだ、と 世界中の耳目がそこに行っている時に、「あの、水と食料は十分に行き渡ってるんでしょうか。私はそれが心配で心配で」と テレビ に電話 かけてくる人たちだったりするのだから。念のため言うけど、私はこういう感覚、モノ事の感じ方をとても良いことだと思って書いている。ただ、全員でも困るんだろうが。