日朝会談の謎の十分

西尾氏のブログで、日朝会談の謎の十分についてコメントを求めている。
http://blog.livedoor.jp/nishio_nitiroku/archives/5856165.html#comments


中西輝政氏が『Voice』8月号で、「小泉首相の退陣を求める」という論文を書いているそうで、その中に、5月の日朝会談に際して、金ちゃんと二人っきりになったその十分に謎を求めているらしい。つまり、そこで小泉氏が弱みを握られるなりして日本の進路をまげられているのではないのか、ということらしい。


なるほど、ではある。私は前申す通り、アメリカと北のコミュニケーション要員を託った日本、なる考えを持っているわけで、普通に日本でテレビ見ている人がふんふんと言っているよりはよほど複雑怪奇になことになっているとは思ってるし、まぁそういうものじゃないのか?とも思う。で、中西氏、西尾氏はおそらくこうした複雑怪奇、あるいは人によっては糞飯ものと表現したい事態に至るきっかけとしてこの「十分間」をお考えなのだろう。

それはそれでわかる。が、そう考えるのなら、もう1つすでにそういう線はできていて、その上で、そういう「裏方」を語るためにこそ空白の十分は存在した、詰めとして、かもしれないと疑ってみてもいいかと思う。こう考えた場合には、小泉氏一人を悪いとして済む問題ではなくなり、対して上記のような考えを取った場合には、小泉一人のシッポ切りになる可能性を連れてくる。であるとするならば、その方がいいなと考える向き、筋書き師がいるかもよ?と考えることもできる。