顔の大きい人の季節になるのだろうか

Soreda2004-07-28

今日は街中どこを歩いていてもこの顔。クリントンs。
民主党全国大会のキーノートスピーカーとしてクリントン夫をクリントン妻が紹介したところの写真らしい。新聞によっては正面写りもあってそっちの方がきれいで、横写りはこの小ささでは見えないけど大きくするとお互いにとても、なんというか面の皮が垂れてきてしまっている中年以降の現象が顕著すぎてきれいじゃない。

イヤしかし、ビルの顔はいつみてもデカイ。
どうしてってほどデカイ。そしてまた年とってきたらかのかそれともメイクなのか知らないがだんだん鑞人形みたいになってる。ゴアも一種独特の人形フェイスだし。なんで重なるんだろう。ブッシュとかラムの顔はとてつもなく悪相だが人形じゃないんだな、どういうことなんだろう。


さてそこで、この民主党大会に日本の民主党ジャスコ岡田氏が視察に行くらしい。

民主・岡田代表、ナイ元次官補に自衛隊の派遣反対を表明
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20040728AT3K2800G28072004.html


この問題も重要だが、上からの流れでやっぱりいいたい。岡田さんもなんか大顔の鑞人形志向じゃないか?思えばなにか似たものがある、クリントンと。頭はいいんだろうしいい人なんだろうけど、どうもなにかこう・・・みたいな点も。


それはともかく、岡田氏がジョセフ・ナイ教授にあって、自衛隊を派兵(なんでみんな派遣って書くの?どれだけ書いてあっても、岡田氏はきっとsend troopsと言ったよな。つまりバリューはどうあれそこにしかないのに)するのは「米国が手を引けないのは分かるが、自衛隊は同じ訳にはいかない。憲法に照らすと今の状況では(派遣には)反対だ」と言ったのだそうだ。上の記事による。

この不思議な読後感をもたらす文にこだわってみよう。

まず、憲法に照らしてでるのは、反対か賛成かではなく、原則と現状をてらし、現状が原則のうちあるかないか、すなわち現在の行為の遂行が可能か不可能だ。だから反対か賛成というのは受け方としては平仄があわない的に不適切。

と考えてみると氏の発言はなかなか深いわけで、この頃みんな憲法にとか原則になんてことがすっかり嫌いになっていて、自分が賛成か反対かのいわゆる「旗幟」だけ鮮明ならいいみたいな妙な風潮があるけど、この人もそうだってことなのかしら、など気づく・・・。

しかし多分そういうことではなくて、このおちつきの悪い「憲法に照らせば」こそがこの主文なんでしょうかね、な〜んて読んだ方がすっきりしそうだ。憲法があるから派兵はできません。という文言が歴代自民党政権下の臥薪嘗胆主義にあってはだからオレはオマエんちの兵隊になんかなるもんか、だったわけだが(それにもかかわらず一方で軟弱にすりよっていたのだとしても)、この頃はこの文は結論ではなく、次を引き出す条件文になってしまった。だから憲法を変えるのです、ってことなんでしょうねぇ。

で、それをわざわざなでジョセフ・ナイに言いに行くんだよ、国内のコンセンサスを文言化する前に、ではある。これを現在の与党がやっているのなら齟齬はないのだが、民主党なんてああた、嘉手納晶吉(こういう字?)をたてて選挙しておいて、まぁまぁまぁ、だ。


しかし、日本国議会の名誉ある野党第一党党首がアメリカの民主党の党大会に行く理由ってなに? よろずのコンベンションと同じで、「コンベンションの中のテーマ発表で得るものはね、もうそんなにないのよね、今は昔と違って。だけどそこじゃ同業者がそこら中に歩いているわけよ、だからミーティングミーティング、顔繋ぎね」というわけだろうか?