「パシフィズムからポピュリズムへ」を読んだ

一昨日The Economistの記事が読めないよ〜と嘆いていたら、ここを読んでらっしゃる方で購読してらっしゃる方が見せてくれました。ホントにありがとうございました。

で、一読。長い丁寧な、分析というより観察の記事で、執筆の意図を探るのだとしたら、日本の外交政策はとりあえず変わった、その背景と現在をまとめるといったところじゃないでしょうか。

選挙の最中に読むとなんでもかんでもどちらかを応援しているみたいな感触を探しがちな人がおられるみたいですが、そういう視点ではなくて、日本がどうなってるのか、ですので、別に小泉万歳とも、小泉落ちてゆくとも読めませんでした。


タイトルが、「パシフィズムからポピュリズムへ」なのは内容をちゃんと反映しているわけで、いつの間にか軍事力を持つ国日本、つまりパシフィストを捨てている状況を解説している。で、なぜそうなったのかといえば、この執筆者は、2001年12月、世界中の人々がまだ911アタックで頭がいっぱいだった頃に北朝鮮のスパイ船が日本に近づき、こういうことは北朝鮮はしばしばやっていたがパシフィストの憲法を持っていた日本はいつもたいしたリアクションをしなかった、しかし今回は違った、というところから書き起こしているように、かつ後で述べるように再度書いているように、そこに日本の変化のきっかけを見ていると言っていいでしょう。

で、その後イラクでの戦争をめぐって、自衛隊を出すの出さないので出して、直近では多国籍軍に参加するところまで来ている。日本は複雑なパシフィストとしての制限があるのだからこういう決定は重要な法的、民主的な意味があるはずだが、特に何も起こってない。一回出したそのままで変化はないからだし、上から読むと、ようするに「なし崩し」ですべてが決まっている状況がとてもよくわかる。

ではどうしてこうなったか。それは湾岸戦争の時に日本人はお金を出したのに兵を出していないと叩かれたて侮辱された。そこから1992年からUNのミッションなどの法改正が起こった。だから今のことは今はじまったことはではない。10年前からだ。

こういうミッションは、軍事的なパワーとして自分たちの国を再定義したいというポピュラーな要請には答えていないけど大部分の日本人はこういうのを誇りにしてる。どうしてこうなのか。「明らかな理由で」ドイツと似ている。アメリカ、オーストラリア、イギリスなどは戦争を手ひどいにしてもオプションだと考えていて時々やってもいいと思ってるけど、この二つの国は第二時世界大戦以来、戦争は常にまちがいだ、との考えになった、と。

だけど日本とドイツには差がある。それはドイツには冷戦以来敵はいないけど日本には北朝鮮がある。それ以外にも違いはある。ドイツはフランスと組んで二人して時々アメリカの鼻をあかすようなこともできる、でも日本にはできない。

ここで、国連の常任理事国の話しが出て来る。


そうなると、

「日本 が国連 安保 理常任理事国入りしたり、欧州 における フランス のような独自外交を進めることが見込めない以上、外交的影響力を行使する最も賢い方法は巨額の予算をつぎ込んでいる軍事力を使うことである、と小泉外交の背景を分析した。」
  【自民敗北なら外交足場作り困難に 英 週刊誌】
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20040710k0000m010067000c.html


というサマリーも間違いとは言わないけど、上から見て来た感じとはかなり印象が違う。これだとまるで小泉氏がそういう方法論があって進めている、つまり演繹的に行為しているように読めるけど、記事内でそれは結論しないし、実際を知っている私たちから見てもとてもそうは思えない。


また、記事のある種の結論としての「ポピュリスト」政治になっていっている日本、線として軍事もあるけど、それよりこっちに主意があるとも読める(だいたいタイトルがそれだ)この記事をまとめるにしては適切ではないと思う。


さらには、毎日のタイトルの「自民敗北なら」は、どうして?との疑問が残る。一回しか読んでないから寝る前にもう一回、ここにフォーカスして読んでみようかなという意志はあるけど、そういう「姑息」な記事じゃないっすよ。もっと、気の長い、あるいは意地の悪い、さあてどうくるんでしょうか、的なものに見える。逆に考えれば、自民か民主かなんてことはThe Economist読書層にとってはどうでも同じだと言うこともできるだろう。問題は日本の対応がどうなるか、であってそれが自民党によって執行されていようがいまいがそれは相当に重要度の低い問題でしょう。


そういうわけで、読ませてくださった方へのお礼かたがた、報告です。読み返して考えを変えたらまた書きます。