反・言霊から考える「国想い改革」

プロパガンダついで上のキャッチフレーズを考えてみるのだが、

(1)この国を想う
(2)この国を創る

これを意味の通る論理構成にしろと言われたらどうするか。
想う、創るの意味はなんだ?というのがまずあるが、それぞれ、大事だ、改革すると読み替えることにする。最大公約数的にこう読めるだろう、多分。

その上で整理してみると、

前提1 私たちはこの国が大事だ
(前提2 この国は改革されなければならない状態にある)
前提3 だから私たちはこの国を改革する


こういうことか。

しかしだとしたら、前提2をつくり続けている自分たちはどうなるのだという問題が発生する。だって長期の与党じゃん。

前提2は私が補ったものだ。だから、そんなのお前の言いがかりだ、という人もいるかもしれない。しかし、もし(1)と(2)が導出関係なら、この前提2は当然にそこに含まれるものと見なされる。

まぁ前提2の内容自体は他のものが入る可能性もある。その場合は私の考案は誤りだが、そこに何かが必要なことに変化はない。例えば、前提2部分には、よく考えていけば改革必須の状態である大事なものを見過ごすことはできない、とかそういうのも要るだろう。


とはいえ、キャッチフレーズはそういうことを考えてもらいたくないから、「想う」とか「創る」とか、それ自体でかなり好まれている語を使って、そして正文にせず、ポエム風に置いているということなんだろう。文がぱらぱらでも一向に構わない私たちの「慣習」はこの場合、自民党にとっては良い結果をもたらすが、私たちの方ではどうだかわからない。


そこでもののついでに言えば、日本語は四季折々の変化を折り込むことの可能な素晴らしい言語で、決まりにうるさくなくて云々、言葉には言霊が宿るのだから読み替えたり、言葉を変えたりするのは誤りだ、西洋語とは違うのだ*  云々と一般人が声高に言うのは、約束の一方の当事者にとって非常な幸いとなり得ることを思い起こして見るのは無駄ではないと想う。*これ自体誤謬をおかしている。