泣けてくる。国史を語るなら兵を語れ、ではあるにせよ

今朝の新聞の写真は、Toronto StarもGlobe and Mailも両方とも同じ写真を使っていた。気にいったのかな。私もとても気にいった。いい、こういうの。おじいさん(全称)が好きだっていう個人的傾向もあるが。あはは。


http://thestar.com/NASApp/cs/ContentServer?pagename=thestar/Layout/Article_Type1&c=Article&cid=1086559809658&call_pageid=968332188774&col=968350116467


フランスの浜で泣いているおじいさん。
言うまでもなくD-Dのセレモニーに出かけていった人。

この類いの記事はD-Dと秋の兵隊さんの日に出るのだが、読んでなんとなくもらい泣きしてしまうのは、みんな、仲間が忘れられないっていうから。オレはいい人生だった、ホントだったらあいつらも、と言われるとなんかこうホロホロしてしまう。


で、思うに、どの兵隊さんだってそうなんだと思うのだ。ただそういうトークが最初に出るか出ないかで聞き手の印象が変わって、あたかも、この国の元兵士はこうでこっちはこう、みたいなものができるだけで。


カナダで見る昔の戦争報道は極めて人間くさい話しにフォーカ垢?△辰討襦?海陵?海蓮∩阿頬静櫃靴能颪い芯未蠅如∪鐐茲鯆兇┐謄?淵世魄貎輿阿砲靴燭鵑澄△辰討いν?鬚?ν?気譴討い襪海箸?泙困劼箸帖

http://www.shobunsha.co.jp/html/owaranai/12.html
国史を語るのなら兵隊を語らねば!)


あとひとつは、どう考えても、今から自分で戦争しにいこーという国じゃないからだろう。つまり、過去の戦争が、今とか今から予定されている戦役にリンクしてない。だから過去は完全過去みたいになっていて、人びとはそれなら十分に、昔あった出来事に感謝を捧げられるといったことになる。

別の角度からは、
http://www.stripesonline.com/article.asp?section=104&article=22641

ここの写真は結構びっくり。
ナチのマークが入った旗が見える。D-Dのセレモニーっていつもこんななのだろうか?


冷静に考えればあの状況下でドイツ人が当然いるわけなんだから隠したり、おっかなびっくりしたってしよーがない。また旗に抗議してみたってはじまらない。元兵隊さんたちにとってはずっとこういうものだったのんかもしれないな。

いずれにしても、静かに過去を語れるほどに過去は過去になったということなのだろう。だから今生きている私たちはそれをハンドルできる、と。ここまで来たってことだろかな、北西欧州。

ということは、過去に私たちの国を作るために功あった人に対して現在の私たちが正対できるようにするためには、完全に過去を過去とすること、すなわち戦争しよーなんてプランを作らなければいいわけだな。

遺族会の人、プロ・ウォーからは一線を隠してくださいね。でないと言ってることとやってることが矛盾する。