未整備なのかそれともそれが日本的なのか


ある意味で、有田氏と並んでひょっとしてここ数年「不可思議」なポジションを与えられている人なのではないかと私がかねがね注目している勝谷氏が有名な日記の中で、今井クンが記者会見の中で誘拐した人々をテロリストとも呼ばないとなじっていた。

http://www.diary.ne.jp/user/31174/

私としてはあれは、テロリストと呼ぶのはへんだと思うし、犯人の方はもし立件できるのなら可能だが、ぐらいの感じで見ている。しかし国内法の関知できるところではない。

と考えていたら、ドイツから美濃口氏がとても冷静な一文を寄せていた。

日本国民の「人質バッシング
http://www.yorozubp.com/0404/040430.htm

これはツキモノが取れるような深い意味のつまった一文でとても紹介できないので読んでくださいましね、みなさま。

で、その中で、

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もっと気になった点は、日本のメディアだけが日本人を拘束したグループを「犯人」呼ばわりしていたことである。これは東京の街頭で起こった誘拐事件でなく政治的行為で、米軍の攻撃でファルージャで約六百人(そのうち約450人の老人・女性や子ども)が死んだ事件がその前にあった。政治的側面は、事件を「卑劣な犯罪行為」と呼んだ途端、私たちの意識から欠落してしまうことになる。同時にこう呼ぶことは(米国の政治家のように)よその国も自国刑法が通用する自国領土と見なしていることにならないか。

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と述べている。政治的意味が欠落していき、そしてそこにテロリストとう語がおかれることで、欠落どころか誘導になっているわけだから、私としては、逆に相当に政治的になっていると考えるがお話の主旨は理解します。

それはいいとして、自国内でないのにもかかわらず、というのは、まず殆どの日本人にとって、そんなこと考えたこともないのじゃないかと思ったりする。

つまり、犯人は犯人なのだ。

とどのつまり、犯人とは刑事裁判上のどうしたこうしたなどという意味では使用されていないのではないのかとの疑いを私は持つ。

とどのつまりのどん詰まりで、犯人とは「悪い人」ぐらいの意味で使用されている・・・のじゃない?

私が再々言う日本語の未整備というのはこのへんのことも指しているわけです。で、これを日本的だと私たちは言うのだろうか?