アイーダが見せるもの

夕べは、ヴェルディの「アイーダ」を見て来た。いや〜いいですね、いいですまったくと目が覚めてもご機嫌な私。

日本にいる時には、オペラは西洋人(だれだ?)には楽しいらしいが私はまっぴらご免だと思っていたし、何度みても気味が悪かった。

そんなものより歌舞伎の方が自分にとっては楽しかった。ただ個人的傾向としては能の方がす〜っと入っていけていい、とても好きな空間ではあった。

でも今それはないから、仕方なしなしオペラに出かける機会を持つようになって、すっかりはまっている私。結局おもしろい。気味が悪いとは全然思わなくなっている。

で、夕べのアイーダなのだが、本体に関しての感想は置くとして、別のことを多分あの会場でそんなことを考えていたのは私だけだと思うが、へんなことを考えていた。

それは去年の夏シェイクスピアの「十二夜」を見に行った時にも書いたと思うけど、「西洋」のうちの、地中海沿岸諸国民(諸国じゃない、諸民だと思うが)にとっては、金髪碧眼ってなにほどか、へんなやぼったい人々に見えていたんじゃないのかなぁ、長らく、多分ついこの間も、もしかしたら今も、ってこと。

ゲーテのイタリア紀行を読んだ時も、そんなことをおぼろげながら感じ、自分でゲーテとかトーマス・マンが辿ったようににドイツからイタリアに陸路で抜けてみたこともあったんだが、その時もそんなことをおぼろげながら思った。

で、この認識が変わったのはアメリカが覇権を持ったことと関係があるのじゃないのかしら? ヨーロッパ域内においてのコケイジアン(ほぼ白人と同義)優勢の理論ってか感情だって元をただせばドイツ発なわけだしさ、これって確実に後発のアイデアだよな、と思うわけよ。理論が必要なのはパラダイムを変える必要があったからだ、とだって言えそうだし。

遡ってずっと西洋人=白人はそれ以外の人を差別していたって、よくできた嘘じゃないのかしら。

北方諸国民のルサンチマンの産物が、アメリカ大陸という「根」から切り離されたところで開花した、と。捏造だね。

そういう視点で考えた時、明治維新の時の外遊者が欧州でも北に偏り、時代が下がるほどアメリカに偏っていたのは不幸な巡り合わせかもしれない。上っ面だもの。