と、そうして言質を取られる、と。/経済とは倫理だ/アイーダ

朝からもうめちゃめちゃくどい私だけど、

「自己責任」問う声に反論 イラクで拘束の2人が会見
http://www.asahi.com/national/update/0427/038.html

安田さんと渡辺さんのインタビュー。

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人質になった人たちを「反日的分子」と批判する与党議員がいることに対しては「反日で何が悪いのか」と述べた。

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売り言葉に買い言葉的というか、両者の持つ「日本」が違っていて、だから前者は現在の日本に対して抗する人を反日、後者は現在のでない日本を日本と考えるから今の日本に抗して何が悪い、ってことなんだろう。

両方とも日本と現政権下の方針を同じものとして扱っている。しかし、日本は、たとえ明治維新で当時とすればよくわからない言うところの下級武士が先頭を切って戦闘を交えて維新という革命を断行しようが、進駐軍という名の占領軍がやってきてある日突然、民主的であることの解釈を施そうとも日本なのだ。

つまるところ、かけ声こそ「日本を変えよう」であったとしても、もっと具体的な方針は常に現政権をどうするのか、であり、その意味では日本とは箱、現政権とはマネージャー、これで足りなければManaging directorとでも、CEOとでも言えばよいが、ようするに運営者だ。

この区分はとても重要だ。ところが長い間それがどうも理解されていないらしくはあるのだ。これは例えば日本というのがとてつもなく未成熟でとてつもなく未整備な集合体であれば、抜本的に変えるということが文字通りに成立する。が、そこまでのことを求めている人や実現可能だと思っている人はいないでしょ? 

結果としては、上述の2組などは言語上の曖昧さを利用して、腹の中でふんばっているのにすぎない。本当に大事なことは現在の政権をどのように変えるかとか、どういう方針を呑ませるのかに集中することなのに。

未成熟、未整備なのは言語体系であり、そして際立った意味でない社会思想系の言辞だと思う。渡辺さんも安田さんもヨソの国に行って他の言葉を話すのだろうから、そのへん考えて反応してほしい。広島の代議士ももちろんそうだ。