遅かったんだなとしみじみ気がつく冬の夜

こんなに便利なのかぁ、って感心しちょります。

でも、そうか、これって自分である程度はタグ打ちができないとならないから、それが面倒だ、あるいはできない、っていう人もいるのかな? ってか、これって一度書いてみたら誰でもわからない話じゃないんだけど、一度もやったことがない人は地べたに同じように文字を書いて、どうしてそれが魔法の記号足り得るのか、ってのは実感できないというだけの話でしょうね。でもって、使っている人でもエキスパートでも原理を知っている人でも、これって結局、こうかいたらこうなる、だからそうなんだ、以外にはないという意味で、思考の弱体化の象徴のような話でもあるのかもしれない。

そんなことを最初に思い付いたのは、細胞とかDNAとかそんな語が頻出するようになった頃にそんな系統の雑誌を読んだ時。結局、見る作業が先行するから、なぜこうなるのか、は置き去りにされる。でも、そのうち構造生物学とかなんとかいう分野がくらいついてきたけど、だけどそれを組むとしても見る行為が先行しているというのを引っくり返せないわけだ。

だけどそのうち・・・続きはそれこそそのうち。