ブログの使い方を考えるのも面倒といえば面倒。紙のつもりなのに
2日前、極東さんの、
もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/06/post_efdf.html
を読んで、基本的にそうだな、と思った。
単純に、承認制にするのは、おそらく大量にコメントが来るブログさん(構えがある)というよりも、中程度の人が面倒に感じるかなぁなんても思った。見張ってる意味があるようなないような、みたいな。
で、いずれにしてもしょぼたれた日記のここには別に実質的には関係はないので、しかし、さりとて趣旨に賛同したらやっぱり行動すべきかしらとか思いつつ、なんとなくたるんでいるところ。
TBに関しては、いやその、こんな弱小中の弱小でも、信じられないぐらいにTBというやつは来る。何にも書いてないのにはてなさんからTB付きましたメールが来てて、ああ、また妙なやつかと嫌々ながらログインして消したこと数知れず。
で、しかし、私が非常に興味深く思っているのは、その手間に対する腹立たしさよりも、私んちに起こっているものに関していえば、完全に、対象が限定されてますね。つまり、書いてある内容内のワードで付けられているんだと思う。で、何年も前のものですが、もう面倒すぎのページを1ページごと削除したことがあります。
しかしその後また発生している。で、サブジェクトはずっと一緒なのよね、これが。だから、広告ばかりではないんですよね。このへんも、含みとして考えておくとさらにこう、億劫だ(笑)。
さらに、前には、信じられないこともそういえばあった。私の名前をかたって別のページにエントリーされたこともあって、なんつーか、世の中には卑怯で恥知らずな人って本当にいるんだなと結構感心したことがあったなぁ、そういえば。
ブログを長期間開けてみて発見したことというのは、むしろそういうことかなぁとか思う。そんな人いないでしょ、みたいな人が本当にいるのね。
で、なんつーか、こういうのって別にブログの世界だけじゃくて、そういう人はツールが違っても別のところで別のことをするんだと思うの。
でので、そういう人っていなくならないと思うの、私。あと、そういう人でも、通時的に、人生の最初っから最後まで、いつどんなところで会ってもそういう人だ、ってこともないと思う。どこかで別の件で会うとそうは見えないというのじゃなくて、どこかで開始するようにどこかで止める人もいるんだろうな、みたいな。
とはいえ、それら(私の価値判断では全くの3乗ぐらい)信じられない人の行為によって、ブログ主が、傷む、つか、心理的に不愉快になる、威嚇されることがあるということはあり、さらに、TBの処理とかで面倒も被る。こうした、総じて言えばネガコメ系のリアクションによってもたらされるものは、宛てられた人にとっていいことはまったくない。となると、宛てられる側は、できるだけ、結果的にはそれらの人と接触しないようにすることが一番だ、となって、実生活だったら物理的に避ける、反論しない、相手にしないみたいな経路に行くわけだけど、ブログじゃ、後者2つはできるが最も実効性のある1ができない。
どうしたもんか、を考える必要性は、したがって、当然にあるんだと思う。
という理由から、finalventさんが言う、コメント承認制にしていく、ってのは実行してゆく価値のあるアイデアだ。但し、要するに、個人がハンドルできない人を、個人は避けるしかありません、という方向から私は賛意をしているのであって、そのへんはfinalventさんは、もっとヒューマンなものを模索しているものがあるなぁ、と私は受け取ったので、若干提案理由に相違はあると思うけど。
あと、したがって当然ある、と私は帰結し、その手段をブログ運用及び慣用に求めたわけだけど、そうではなくて、方向性として、世な中そんなもんだ、だから俺はもっと強くなるべし、という方向があってもいいとは思うし、そういう人もいるでしょう。強くなる前にブログするな、みたいな。
ただ、個人的に思うのは、それって、多分むしろ理想論と思うっすよ。喧嘩したくなるような相手ばかりがふってくるわけじゃないから。でもって、全方位OK、つまり、実生活でいえば道行く人一人一人を相手にできるほどの体力と時間を持つ人間はいまだかつていない。ジーザスだってお釈迦様だって、話を聞きに来たか、俺(ジーザス等)が話しかけたいと思った人としか話してないもん。縁はある。しかし偏在しているわけではないる。
したがって、強くなれ論はあんまり現実的でない精神論かなとシンプルにそう思う。
と、コメント欄はそうなんだけど、TBはどうなんでしょうね。
今日の氏のブログによれば、弾さんという方が、「「TBオワタ」というbloggerこそオワタと弾言しておこう。」とおっしゃっているんだそうだ。
どなたなのかわからないので、とりあえず読ませていただきました。(こういう場合TBを飛ばすことがいいのか、飛ばすべきなのか、等々私はしばしば悩む。あきらかな賛意・不賛意とかなら飛ばす、けど、孫引きだし・・・。)
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080608
ま、ないとつまんないというのもありますね。確かに。
ないと、他の人の考えてることに、おお、賛成よとかできないし・・・
いやしかし、ふと考えてみれば、そんなこともないのじゃないのかも。それはコメント欄で(1日遅れとかになるかもしれないけど)表明すればいいだけの話なわけで。
そうか、元を正せば、TBだって、最初は、打っていいですか、とかわざわざコメントしてからやってたような経緯があるわけで(もともとはリンクしていいですか、が発祥か)、その時代を過ぎて、機能の性能がアップしたために、見知らぬ人の玄関先にいきなり名刺を貼り付けるようなことができるようになっていた、と考えると、そもそもTBというのは、過渡期の産物としてだんだんネグってもいいものなのかもしれない、などとも言えるかもしれない。
なんつーか、何事も社会常識と同じように推移していくんだろうな、って思う。結局のところ。
ブログの効用は、もう1つあった。誰かからの刺激を元にこうやって自分の頭の中を整理していけること。
そこから考えた場合、もしかしたら、今現在TBの効用を非常に高く買っている人というのは、自分で考えていることをまとめることよりも、誰かに向ける(賛意であれ不賛意であれ)方にバリューのある人なのかもしれない、などとも言えるかもしれない。どっちも別に悪くはないが。
秋葉原が大変
どうしたの、これは!
Frenzied attacker knifes 14 in Tokyo
http://www.cbc.ca/world/story/2008/06/07/japan-stabbing.html
6人刺される、という状態までにかかった時間は?
こんなの、そう簡単にできるもんじゃないと思うんだが・・・
北米なら銃があるのでありえるが、こんな繁華街なら間髪いれず、武装警官に撃たれる可能性は非常に高いでしょう。
刺された方の安否がとても気になる。
再び交差点に向かって走り出す加藤容疑者。交差点で制服警察官に話しかけるような様子で近づくと、平然とした様子でさっと脇腹を刺した。警察官は脇腹を押さえ路上に崩れ落ちた。
ジグザグ走行、馬乗り、メッタ刺し…白昼の惨劇でパニックのアキバ
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/151401/
警察官が倒れている男の人に駆け寄り、しゃがんで話しかけていると、白いジャケットを着た加藤容疑者が後ろから近寄り、いきなり警察官の腰のあたりを刺したという。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080608-OYT1T00403.htm?from=main1