Mangaじゃない、漫画だ

まったくどうでもいい話なのだが、「エロイカより愛をこめて」がまだ続いていることを今日知った。日本人の友達と話していて、やっぱり漫画がないというのは私たちのトロント生活における最大の欠点だ、この空白を埋めないだわ、とか冗談半分に語っていて、好きな作家の話をひとしきりして、家に帰って来てちょっと検索をかけてみた。


青池保子さんの公式ホームページがあるということに、ほぉと思い、とりわけ好きなエロイカより愛を込めてのプロフィールを開けた。私としては、読めるところまで読んだ、買って読んだという記憶はあるもののしかし最後がどうなったのかがわからなかったので、今度日本に帰ったら最後まで買わねばと思った。

http://www.aoikeyasuko.com/list/eroika/index.html

一覧を見るに、確実に25巻までは読んだ。実家にあるはずだ。その後じゃああと5巻あるのか、しかし、
が、あれ、最後って書いてない。(アルカサル-王城-も好きよ)


あわてて(あわてるなよ)、秋田書店のプリンセスの告知を見たら、げげ! 今月号に「エロイカより愛をこめて」の文字があるじゃないか。ということはまだ続いている。すごい。すごすぎる。
http://www.akitashoten.co.jp/CGI/autoup/listput.cgi?key=list&bunrui=007


ついでに、気をよくして?、森川久美さんのページを見る。
http://www1.linkclub.or.jp/~mya/menu.htm


ヴァレンチーナ、南京路に花吹雪はとりわけ印象深いのだが、ご本人の弁によれば、大きな本屋にいかないと見当たらない&発行元があんまり熱心に重版していってない模様。そうなのかぁ。じゃあ昔の作品の単行本は今ではお宝か。かなりあります、私。かなり熱心に集めてましたから・・・。


と、どういうわけでもないのだが、漫画って、相当な長寿ものなのだと改めて思い知る。エロイカなんか余裕で20年ぐらいやってないか? さらに、終わったとしても単行本でずっと生きてる。そして、実際、こうやって海を越えてもさらに読みたい
、また読みたい、なんで手元にないの!とマジで気になる人がいるぐらいなんだから、一回ファンになるとず〜っと、ひそかにさり気にずっとファンだ、少なくとも人生の中でもう一度、もう二度、三度と再読したいという人は相当に多いじゃまいか。どうしてなのか、そういう分野だ。で、これって、普通の本より、ひょっとしたら映画より、さらにその熱心度が高いような気がしないでもない。なぜなんだろう?

 少女漫画と日本でないところ幻想


http://en.wikipedia.org/wiki/Manga


ついでに、wikiのマンガを読んでみる。とりあえずこのところ日本のマンガ、またはアニメについて語られる場合に使われている、ある種現代におけるオーセンティックな解説が書いてあった。


で、その中ですっぽり欠けているのは「少女漫画」かなぁと私は思う。少女漫画と少年漫画の区別は、ターゲットがガールかボーイかという問題であり、しかしそうではない、ってのがその主要な原因ではなかろうかと思う。


「少女漫画」は、戦後のみならず開国以来日本が持っていた、西洋社会幻想ないしは憧憬、最良の形態として理解、みたいなのがないと成り立たなかったであろうと思う。
もちろんその「理解(幻想も含めて」は、直接に本当の西洋社会ではない。だから、この「理解」という名の日本変数みたいなものが解かれないと、直接に世界マーケットで受けるっつーわけにはいかないラインなんだろうな、など思う。


で、その理解は作者だけでは成り立たないわけで、読者もその中にいる。どういう読者かといえば、やっぱりこの、子供時分に岩波少年少女文庫を読んだりしていた人とか、あと、西洋ものの読書暦の中に必ずといっていいほど、ヘッセの読書暦っつーがさり気に入ってる気がする。従って、人はよく悩む(笑)。現実の世界でどうやって食っていくか問題よりもそちらでの終結の方に重きが置かれる人生観が形成される。そちらがよほど高尚だ、という理解とも言う。

で、知らずにそれが、日本ではないどこか、せーよーのどこかと一体化する。従って、なにかせーよーとはそのようなところであるような錯覚に陥る。形而上下の西洋、つまり現実の西洋(というより、実際にはネバネバランドかもしれないわけだが)は、後手に回るか、最悪の場合、そういう人は例外だ、といった排除機能さえ働く。

本の中で知る西洋が先にあり気で、しかもその世界は倫理観の形成と一体化しているために、なかなか崩壊しない。そのため、現実にどんなセーヨージンが来ようとも、本、漫画で構成された方がずっと強い。よほどの体験がないと、現実>読み物世界にはならない。この世界観があるために、多分、少女漫画の寿命はえらく長いんじゃないのかと思ってみたりする。


もちろんそういうものばかりではないのだが、いやしかし、かなりのところそうかもとか思ってみたりする。世界マーケットに乗りやすいものよりも、日本論を書くならこっちの解明の方がはるかに本筋だろうとかも思う。