純ちゃんと読み物

小泉純ちゃんのエルビスの旅は、マジで楽しそうだ。
なんかものすごいカバレージになっているんだが、どこを見ても笑ってるかあっけにとられている風で面白い。


なんといっても、、短いご挨拶の様子を読むと、我が邦の首相たる小泉純一郎氏は、どこでもかしこでも歌ってるらしくある。
Statement by President Bush and Japanese Prime Minister Koizumi
http://biz.yahoo.com/prnews/060630/dcf066.html?.v=4

PRIME MINISTER KOIZUMI: It's like a dream. I never expected President come with me to visit Graceland. There's Elvis song: To Dream Impossible. (Singing Elvis song.) (Laughter.) My dream came true. Thank you very much for -- thank you. Thank you very much for treating me nice, the Elvis song. (Singing Elvis song.) Thank you.


夢みたいだよ、まさかこんなことがあるなんて、(歌い出す)、いやマジでほんとにありがとう、あははは(歌)、夢がかなったんだよ、あははは(さらに歌)、みたいな感じか。



これは世界中のメディア関係者およびブッシュ氏にあってもびっくりだったんじゃまいか。むしろ日本人にとっては、舞い上がる人ってそうなのよぉ的にゆっくり受け止められるが、外の人、すなわちガイジンにとっては結構な驚きだったのじゃまいかとあらためて思った。実際、日本の要人で、見知らぬ人々の中でそこまで無邪気になった人というのは、ひょっとして前代未聞か?などとも思う。要人とかいったって酒の席なら頭に靴下巻いちゃう、みたいな人が輩出するのが不思議でない我が方の風土にあっては、歌ぐらいなんということはないわけだが・・・。


こういう時こそ、奮発して冷や水を浴びせてくれるであろう期待を一身に背負うところの英国メディアも不調。負けてるぞ、純ちゃんに。

The tour is being widely seen as Mr Bush's thank-you to a loyal ally who is due to step down in September.

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/5132376.stm?ls


忠義の同盟者になってくれたことへのブッシュ氏の感謝だと見られてる、ってのは文脈によっては、そうだポチだ、なんてことった(byゲンダイ)を引き出せるネタなのだが、そうなんだよ、実にありがたいオモテナシでしたby純ちゃん、とかになっちゃいそうで、皮肉になんない。がんばれBBC。まだ遅くない。期待してる。


NYタイムスは、下の記事では普通の写真だったが、アメリ東海岸時間の夕方サイトを開けたときには、開けたらいきなり純ちゃんが腰ふって踊ってる写真だった(笑)。恥ずかしいことは恥ずかしい。


こっちの記事でも歌ってる話。ら〜ぶみぃ〜てんだぁああ〜、と歌ってたと。そして、純ちゃんのオーディオ付。写真も飛び切りきれい。

"Loooovve mee tenderrrrr," Mr. Koizumi crooned, as Priscilla Presley, Elvis's former wife, and Lisa Marie, his daughter, looked on.

In Memphis, Two Heads of Government Visit the Home of Rock 'n' Roll Royalty
http://www.nytimes.com/2006/07/01/washington/01bush.html?hp&ex=1151726400&en=60a197aa9a06ed00&ei=5094&partner=homepage


(NYタイムスのこの記事は道中どうだったああだった、沿道にいた人はこういったああいったととても細かくて読み応えがある。NYタイムスのことだからどこかにブッシュやこの、どうあれ馬鹿騒ぎであることには違いないイベントを落としたい気分というのは想定されるし、それもあることはあるんだが、それがちょうどいいぐあいに「影」になっていて、全体としていい記事、いい読み物になってていると私は判定。
やっぱこういう人たちがいないと世の中って面白くないし、これに比べると、オーニシってつまらないダメ記者だなぁと改めて思った。どうでもいいから、NYTは文才のある奴を使って、絶好の影文(すごい造語だが)を排出するというのを使命にしたらどうだろう。すごくいいと思う。蛇足ながら朝日には逆立ちしてもできない芸当だし我が方にはその素質のある媒体が思い当たらないのは残念だ。)



それはともかく、純ちゃんはいいとして、ブッシュさんのおじさんとおばさん、どうもお気遣いいただいてありがとうございましたなど言いたい気分ではある。へんないい方だが、やっぱ、ジョージは、ええとこのボンなんだなぁと(好意的な意味で)思ったりもした。お客さんが喜んでいるかどうかを気遣うのが板についてる。客がアホをして笑われそうになったら自分が率先してアホをやってその場を回収しろ、みたない感じで育っているか、少なくともそういうロールモデルがある家庭だったのじゃないのかな、など思った。当然だろうが。




それはそれとして、国内の記事で、ネガティブな記事を書くだろうことがほぼ期待されている朝日と毎日の社説およびその周辺を読んだ。基本的私がわからないと思うのは、彼らの行動、思考、主張において、一国の外交の目的って、何よ、という問題か。


日米首脳会談:同盟成熟、課題は残る
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/usa_c/news/20060630k0000m010185000c.html

 ◇安保傾斜、アジア置き去り

毎日さんの記事だが、ふと目についたこの中見出し。日本ではしばしば見られる対語というか、ま、アイデアなので不思議でもないものとなるかもしれないが、冷静に考えればへんだ。自国の安全保障に熱心になった、その結果、自国以外のアジアへの目配りが減少している、という意味にまず思えるわけだが、普通に考えて、国という自治統合体としてそれほど問題のあることではない。自国の安全保障に熱心になって何か問題がある、という理由でもない限り。

もちろん、実際にはアメリカとの安全保障条約という歴史的経緯および相方とのさまざまな相違点から、好意的に捕らえられないものは山ほどあるのがこの体制ではあるだろう。しかし、まずそれが安全保障である限り、別に結婚しようといってるんじゃないんだから全人格的に愛さねばならないなんて話ではない。むしろ政略結婚程度に誠意を持って偽善をなす覚悟と資質と資産があればそれで合格、その上勇気と根性があればさらによし、それによって、最低限安全を保障しあえる関係がリバイスされ続けていることは、まず歓迎すべきことじゃないのか?

また、アジアは置き去りって、誰のことを? というのが実際にはよくわからん。インドもアフガニスタンもアジアだが、そこらへに、日本がアメリカと仲良くしてる、私は置き去りなの?といわれたという話は聞いたこともない。


と、総じていえば、安全保障とは何かについてのアイデアが根本的にないか、そもそも、使っている語の意味を理解せずに書いてるのではないのか、というのがこの論文執筆者の文章が決定的に何がなんだかわからなくなっている主因だろうと私は思う。たとえば次の文などはまさにそれが吐露されているかもしれない。

しかし、蜜月の5年間で目立ったのはむしろ、軍事・安全保障面の協力強化の突出ぶりだ。北朝鮮の核・ミサイル開発や不審船事件があったとはいえ、長年タブーだった有事法制の整備に踏み切ることができたのは小泉首相だったからでもある。ミサイル防衛(MD)の導入と共同開発も決め、米側を喜ばせた。


北朝鮮という不安定きわまりない体制の、しかも誰がマネージしてるのか、ほんとはよくわからない主体が、核を持つわ、ミサイルを打つと騒ぐは、というのは、「あったとはいえ」ですむ問題のわけはない。これは、リアルに困る、と考える人にとっては、したがって、これらの事情があったからこそ、その前の文、突出した軍事云々という結果が発生する。つまり、ここには明確な因果関係があり、その結果として安全保障の強化の必要性が認識され、その方向に行っている、という事態がある。何もないところで、気がむいたから、あるいはジョージがそう言ったから、純ちゃんがそうしたかったからそうなったという話ではない。


この5年間でもっとも目立ったのは、東アジアに関していえば、むしろ、北朝鮮はどうしようもないほどに劣化していると見切りをつける以外にはないのはわかったが、その引き受けてもなかった、さてどうしたものかというフェーズに入っても誰も手を上げるひとがいないという困った状況と、チャイナの軍事的野心、という語がいやなら、では、軍事的関心というのは冗談ではないのだなというのと、制御の可能性の確からしさも含めて、放置できない問題なのだと、(おそらく少なからぬ人々にとっては今更何を、という事態ではあるだろうが)、多くの人が気がついた、あるいは、諦めた、ということだろう。



次。

米外交 盟友消え進む孤立


上の記事が、因果関係を見落としていることから(故意にせよ)、事態への説得的な説明をすることができなかった例とすれば、こちらは、目の前の人の動きだけしか目に入らないために、その間に舞台装置が全とっかえされるのに気づかないというパターンか。こういう人は舞台関係者にとっては願ってもない観客となるだろう。

 「有志連合」を率いたイラク戦争から3年がたち、世界は変わった。中核だったスペインのアスナール首相、イタリアのベルルスコーニ首相は政権交代を経て姿を消し、9月の小泉首相退任に続き、ブレア英首相も07年中に退陣する方向だ。

 大統領のイラク問題の演説では決まって小泉首相が登場する。60年前の敵国の首相と親密な関係を築きあげたことは、米国がイラク民主化と米軍駐留に理解を求める際の絶好のアピール材料になるとみているためだ。しかし、それも首相が退陣すれば使えなくなる。

 国際協調に背を向けた米外交にとって、重要な役割を担っていた「盟友」が次々と消えていく。ブッシュ大統領の孤立化は深まるばかりだ。

例にあがった国はどこも選挙をして指導者を変える方式の政体なので、首相が変わったことがすなわち方向転換となるとは限らない。

その上で、そんなことよりもまず、確かに当初の「有志連合」の構成者はいなくなりつつあるだろうが、その間に、ドイツが変わり、フランスももはや2002年のフランスではないし、私がいるカナダも、近所で言語をともにしているという理由もあり、必要とされている以上に心理的な仲たがいをしてきたが、政権が交代したことでそれは終わりつつあり、その余勢をかって、結局どこも胸をなでおろしているのが本音というところのように見える。そもそも、元祖反米とも言うべき基調はきっと失われないに違いないとは思えるが、それは敵になりたいという意味ではない。盟友でなくなりたいと希望するカナダ人は当初も少ないし、今も少ない。そもそも、私たちは良い友達です、だからこそ今回はあなたとは行きません、というのがカナダのイラク戦争反対決議に際しての首相の言でもあった。


と、そういうわけで、実際にはアメリカと列を同じするしかないさね、という国は増加している、と書いてもいい状況があるわけで、どこでそれを孤立と呼ぶのかがよくわからない。わかろうとすれば、だからその、目の前にある何か(あ、あの人やめちゃうんだ、といった情報)を恣意的にかき集めてそこだけしか見てないことからこうなったのか、という理由しか思い浮かばない。

ま、でも、機関紙としてごく一部の人が気持ちよく読めるように書くのがサービスだ、という新聞としてはそんなことはどうでもいいのだろう。


日経さん。


社説1 最良の瞬間を演出した日米の首脳(7/1)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20060630MS3M3000K30062006.html


見出しと最初と最後のパラグラフをもう少しなんとかならんのか、という点を除けば、私はおおむね、なるほどと思って読んだ。
北朝鮮の問題を安全保障の問題として位置づけてはいるものの、なんか不明な構成になってるから、因果関係として立論して、しかしそれを書かないで骨を見せる(丸出しで敵対するのもどうか、なので)、隠れた因果関係が明確だが直接的な(=不用意な)敵意をあおらないよう構成できたらいいんじゃないのかな、などとも思う。日経の弱点は、ごく一般的な意味で書き手がいないことか。

経済以外は日経はいい、という評判の上に、材料だけ読む分には日経はいい、自分で考えなきゃならんのがやっかいだが、というのが加わる、と。すんません。

いやしかし、最良の瞬間だと言っておきながら、最後に「小泉・ブッシュ時代は9月に終わる。いまが日米関係の頂点なのか、まだ途上なのか、ポスト小泉をめぐる議論の対象にもなる。 」と、今が最良なのかどうなのかわかりません、と書いてしまうこの方向感のなさ、および、自分が論理を組んでないことに気づいてないという意味での方向感可能性のなさ、このへんが経済以外は日経は良いの本質的な意味なのかという気もしないでもない。さらにすみません。基本的に、この軽さ好きです。許してください。



そういうわけで(どうでいうわけでもないんだが)、ほんとーに、主要紙のない国だとしみじみ思う。で、前はそれが大変なことにように思えていたのだが、もう、これならこれでいいのじゃないかと思うようになった。結構いろいろ、ぱらんぱらんととりあえず量はあるし、自前で、お給料をもらっていないという意味ではプロじゃないけど、でも各種分野でプロの人が各種メディア(要するにオンラインだが)で読み応えのあるものを書ける人はいっぱいいるんだし、それらを材料として自分なりの判断で、自分の責任で引き受けていける人がたくさんいる方が、代表紙があってそこが音頭を取るとみんなが右を向く、左を向くより、よっぽど、成熟社会というものかもしれない、など思い出している。


とはいえ、上の方で書いたNYTみたいな、ああいうお金を取れる文章を書く人を養成するためには、その人にお金を支払える媒体がないとならないわけだし、そのためには代表紙数誌がきちんと機能するのはやっぱり望ましいことではあるんだろうとは思う。

靖国@カナダ


小泉首相靖国神社に何回行ってもいいでしょ、と言ったというのがカナダらしい。それはそうらしいんだが、でも、これって、カナダ人とかカナダ側の質問なんだろうか?



なんといってもオーニシがいるおかげで、またカナダか、的反応を覚えられる方も多いかもしれないことを若干危惧する私。


昨日も書いたけど、現在のハーパー首相が小泉純ちゃんに靖国でなんか言いたいという理由はないだろうし(関係を密に、と考えてるところでネガティブ問題は普通振らないだろう。利害もないし)、カナダが問題になってるという話も聞かない。長期滞在ならありだろうが、あの短期間で???と疑問に思っている。
当日のスケジュールはこれ。
http://www.pm.gc.ca/eng/media.asp?id=1226


と、これは同行記者が質問している模様。想像通りではあるけど。

"It's not a problem no matter how many times one goes. It's one's freedom," Koizumi, speaking in Ottawa, told reporters accompanying him on a visit to Canada and the United States.

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/28/AR2006062800266.html


WPの記事。アメリカ、カナダに同行しているレポーターに答えたとわざわざ書いてある。


かばうってわけでもないが、くれぐれも、この短い訪問中の中でとりわけわざわざ靖国を題に話を聞きたかったカナダ側記者がいた、ということではないことをカナダ当番としてはカナダ人の名誉のために言っておきたい。意味がなさ過ぎる。


しっかし、失礼なやつだなぁと腹を立てる。短時間なんだから、カナダに関係のある話をするのが礼儀じゃないのか?