ドリル・ドリル・ドリル

今週あたりから、原油高騰の問題がますますメディアをカバーしてる北米。
なんといってもガソリンなしでは生きられへん、という人が対日本、対欧州主要都市の比較でげろげろに多いこの地。

トロント人の言い草を借りれば、無軌道に適当に街を作ってるアメリカでは、みたいなことになる。ま、この件に関してはとりあえず、トロントは公共交通機関に関して、北米ではニューヨークに次ぐ規模があります(日本から比べたら、ちーせー、ではあるにせよ)、なので一応そういうことが言える。が、しかし、現実にはトロントだって車なしではにっちもさっちも行きませんという人が大多数の都市には違いないのがホントのところ。そのように都市構造が出来てるし、人々の頭の中もそのようにできている。例えば、公共交通機関を利用するということが、アメリカでは特に、危険を伴う、貧乏人のやること、といった度合いが高く、したがって、そこを拡充しようという気にはならん、というマインドの問題が非常に顕著。


トロントも同様で、前々からこんなに都市域が広がったんだから、公共交通機関を拡充させなければならない云々と話題は出るものの、専門といわれるいわゆる関係者、識者がそもそもまずめったなことでは電車に乗ってないよな、としか思えない人ばっかりだったりするし、テレビの番組で実際に話を向けられたら、顔を赤くして、だって混んでるし、自分は時間に縛られて大変だからそんな電車なんか待ってられない、と言い張った人がいたのを私は覚えているぞ。


時間に縛られているのはあなんだけじゃないんだってばさ、なわけで、都市交通を語るにあたって自分がどれだけ適任でないのか、実はそんなにやる気なんかないと言い放ったも同然、をあからさまにしたよなぁとか思った記憶がある。そもそも、東京だったら、電車に乗れ、車は時間が読めないから、なのだが・・・。



と、そこらへんの根本的なところを変えることができないので、石油というより諸物価高というより、とにかくガス(ガソリンをガスと言うことが多い)をくれ!が焦眉の急。

そういうわけで、人々の興味に焦点は、なぜ高いんだ、原油、に絞られてきたっぽい今週。状況的にはずっとそうなのだが、同じことが「人々」相手にしてきたということは、つまりこれが政策、政争の1つになるということでもあるんだろう。


ざっと見たところ、ビジネス系、保守系、あるいはリパブリカン系とでも言うべき集合体は、アメリカにある原油を掘れ、製油所を整備しろ、とはっぱを掛けている。いわく、「ドリル、ドリル、ドリル!」で、CNBCなどで口にされている。

これに対置するものとして、「グリーン」、つまり環境派が槍玉にあがっている。アメリカの、特に沖合いの原油の採掘が環境問題を盾に封じられている件を指す。

製油所は確かにそうかなと思うけど、しかし、全体としてこれはアメリカの石油政策、安全保障政策なんだろうと思うので、別に現在の「グリーン」だけの問題でもないだろうと私は思う。が、しかし、まさか、他の諸国の原油が相対的に少なくなるまで国内の石油は凍結だ、とはは言えないだろう(笑)し、じゃあなんて答えていくんだろうかとちょっと妙な興味で見てる。


石油を輸入する→外国に存立を頼ってる、
石油をできるだけ自前にする→独立してる、
だから自前を掘る、

という線もアメリカ人には非常に訴えるものがあるだろうと思う。で、これは左右を問わずそうだろうと思えるので、なおさら、このテーマは興味深い。
(日本人からすれば、ほっとけ、もう、だが。)


The New Americanという、右派の雑誌の最新号がこのあたりの、なぜガソリンが高いのか、だからこうなってあなって、つまり、掘るんだ、掘る、な、と人々を納得させるためのロジックを上手にまとめていた。

Why So High?


これに対して「グリーン」はどう言っているのか、が私にはちょっとまだよくわからない。とりあえず、この記事はよくまとまっていて、なるほどだった。時間があったらサマリーにしてグリーンの反論を加えたらさぞや楽しいだろう、とは思っている。


それはそれとして、省エネに向かうんなじゃなくて、掘れ、に向かうってのに、なんつーか、彼我の差を感じる。


ただ、だからといって代替エネルギーに無関心っていう話ではない。それはそれだし、向こう100年ぐらいのスパンで考えてもう今からは原油を掘ってもいいと判断した(代替等の補給の目処が立ってきた)、だから掘る気になってきた、なのかもしれないっすね、などとも思う。

また、政治的不安定地域に原油を頼らないほうがいいよな、というメッセージは国際政治的でもあるわよね、とかも思う。結構わくわく。