オバマ現象の射程と埒外


ヒラリーの方が強いだろうと見た私のスーパーチューズデー時の感想は間違いで、その後もオバマ氏が勝ち進んでいる今日この頃。そうかぁとたまげつつ、しかしなぁと眺めるという感じ。


現状は、

オバマ氏は10日のメーン州に続いて、12日に実施されるメリーランド州などの「首都圏決戦」でも有利とみられ、中小州の勝利を重ね、代議員数を積み上げる戦略だ。クリントン氏は3月4日のテキサス州などの大票田で勝利を決する作戦で、双方の戦略の違いが鮮明になった。

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080211AT2M1000B10022008.html


といったところ。戦略というより、要するにクリントンラティーノ、女性票、ブルーカラーで強く、オバマ氏は黒人、白人男性で強いことから、それを反映してみるとそうなるという話。もっと正確には、ラティーノクリントンを好きだという話ではなくて、ラティーノと黒人が同じ人を支援したりはしないことが多い、という経験則が観測されていて(イギリス発メディア以外の米発ではあまりこれを解説している記事を見ないのは全米というか北米中で普通にそうだろう、と受け止められているからなのか)、その上で今回も既にそうなっている地域があるので、恐らくこの経験則は生きるだろうと考えられている。


しかし、このレース(一般的には人種と訳されるけど、でもなんかその大きさはないわけで、種族とでも言うべきかと思いそうする)間の対立、というのではないが、種族が異なると発生しやすい相互作用(穏当な言い方だ)は、ラティーノ対ブラックだけでなく、どうやらアジア系でもあるのではないかという説があるようだ。


The New Republicという、だいたいデモクラッツ風の人が読んでいる雑誌(あまり恐ろしいリベラルではない。普通の人たち w )のオンライン版の記事が指摘するところでは、カリフォルニアの出口調査によれば、アジア系の投票ではヒラリー対オバマで、3:1ぐらいにもなるそうで、これはラティーノの比率よりも高いのだそうだ。著者はこれだけか直ちに何かを引き出すのは難しいにしても、しかしニューヨークでもクリントンは勝っている。つまり、オバマ候補が言う「post-racial」の政治(種族を超えた政治、とでも言うのか)というメッセージは、白人と黒人以外に届いてはいないようだ、とある。
http://www.tnr.com/politics/story.html?id=0e0891ad-466b-4176-919b-16d11a69f069


上の記事のコメント欄ではその原因を巡ってこもごも興味深い討論がなされていたが、日本人だったらまず真っ先に、ああ、慰安婦決議以来お馴染みのカリフォルニアの東アジア系の人々だろうか、と思い出さないわけにはいかない。恐らくクリントン(または民主党のそれなりに力のある筋?)と特定の東アジア系の繋がりは固い、という話もこの投票行動に影響しているのじゃないだろうか。


ただ、全員じゃないだろうし、アジア系には南アジアのグループもいるので、それも含めてオバマではなくクリントンなのだから、もっと他の理由があるのだろう。で、上の記事が示唆していたのは、オバマ氏は黒人も白人もなくみんなアメリカ人だ、というものの、その中で例示してくる時には結局、ブラック&ホワイトなわけで、ここには他のマイノリティグループは大きく欠落している。だから彼らアジア系の投票者にしてみれば彼の主張は自分たちには関係ないということなのだろう、という点。


かなりに当たり前の指摘だと思うのだが、50ぐらいあったコメントを読んで、本当にそこに気づいていない人が結構いるということにむしろ驚いた。だからこそ、オバマ氏の言辞は一部の白人に本当に効くんだろうな、と。そしてこのへんがオバマ現象の限界ラインなのだろうなと思う。夢の中に入るにはあまりにも現実が近すぎる、と。しかもこの現象は、「同床異夢」だ。


つまり、オバマ氏は別にアメリカ大陸で狭義に言うアフリカ系アメリカ人ではない。にもかかわらず彼はそこでの体験にフォーカスを置いて、演説のスタイルも言語もそれを示唆している。つまり、本当は違うでしょ、と思う人がいる一方で、そうだ、と思いなす人がいる。ここにまず断絶。

さらに、本当は知的な白人のおかあさんとお母さん方の白人のミドルクラスの祖父母のもとでハワイで18歳まで過ごし、お父さんはケニア人、お母さんの再婚相手はインドネシア人と、要するに大方のアメリカ人との比較でいえば、びっくりするぐらいにコスモポリタンだ。これによって知的エリートさんたちは、新しい時代の人材だ、これでアメリカはイスラムにも良いメッセージ、イメージが出せる、ぐらい思っている人もいるそうだ。しかし、国内で支持している人は、そして彼の選挙対策もあくまでその点を強調してはいない。


また、クリスチャンだとはいうものの(ハワイ時代までは非常にsecularな環境で育ったという話だ)、それはシカゴに来てからある教会の信者になってからで、その教会そももの、またはその牧師が黒人至上主義的な人と繋がりが深いのではないのかという点で問題含み。みんなアメリカ人だというのになぜ特定の種族にだけ肩入れするのですか、と。(このへんの機微は移民世代が近い方が気づきやすく、まったく関係ない白人のアメリカ人には現実感がないことが多い)。


で、この点をThe Economistは何週間か前に、この問題はオバマ氏が民主党の候補者になったら論争の一つになるだろう、でも、アメリカ人は黒人が黒人の教会に通っていても不思議には思わないだろうけど、と書いていた。1)

しかし、アメリカ人が驚かないのは、住んでるところの、あるいは友達を通して紹介された黒人の教会に黒人が通うことであって、上で書いたような来歴のコスモポリタンがシカゴの黒人の教会に30近くなって通い始めて、以降近しいという状態をを自然と思うかどうかはかなり疑問。

30近くなった大人が選んでその教会に通っている以上その言動には責任があるだろう、と考えることの方がむしろ自然だろうから、結局まだ詰められていない問題として残っていると言っていいのかなと思う(エコノミストは意地悪くわざと、そうなんじゃない?と半分誘いつつ指摘しているんだろうと思う)。オバマ氏の本、「Audacity and Hope」のタイトルは、去年出ていたニューヨークタイムスの記事によれば問題の牧師さんの1988年の説教から取ったものだと言う。2)

1)
http://www.economist.com/world/na/displaystory.cfm?story_id=10566687

2)
http://www.nytimes.com/2007/04/30/us/politics/30obama.html?ei=5090&en=f901477fd875c685&ex=1335585600&partner=rssuserland&emc=rss&pagewanted=all
2007年4月のニューヨーク・タイムスの記事。非常に長いのだがオバマ氏と教会について詳しい。


そういうわけで、オバマ現象の伸びの限界というのはある。でもそれでもクリントンに勝つことはできるかもしれないが(いやしかし、彼女の軍団こそダイハードではないのかとも思う)、この現象がこの先も11月まで続くかどうかはかなり疑問。


いずれにしても、私はアメリカに住んでるわけでもアメリカ人でももないので、日本に仇なすものでない限りなんでもいいので、より仇はなさないであろう確率が高そうな、つまり民主党でなければなんでもいい、どうしても駄目ならマイク・ハカビーでも全然OK。なので、民主党が最後の最後までもつれる分には歓迎。


ただ、この成り行きでは、大統領選挙本戦で負けた場合、米民主党はかなり失うものが多いだろうと思うので、どうやって党勢を立て直すんだろうかな、とそれはそれで興味深い。共和党は内戦状態まで行かずに早めに候補者を一本化して、消耗を防いでるとう意味で自分たちにとっていいし、国難にあたって揉めてるというイメージがないのもポイントが高いと思う。