カナダとアフガニスタン


先週金曜日は、カナダの、Rememberance Dayという、過去の戦争で亡くなった人を忘れませんよの日だったものでこの2週間ぐらい軍がらみのものがたくさん放送されていた。


そして、しかしこれはリメンバランスデーのせいだけではないというのが、なんというか、カナダにとっては大変。
というのは、カナダの軍事力はどうなるべきなのか、について、実際岐路といえば岐路にあり、そうして、現実には既に、多分、私が思うに、多くの人が考えているよりも、軍事的に踏み込んでいる・・・。もちろん、引き返すことも可能なわけだが。


というのは、カナダはずっとアフガンに関係していて、そのプロジェクトは、どうやら、マジで、ある評論家の発言を借りれば、それはもうPeace Keepingじゃない、Peace Makingだ、ということのようだ。


つまり、アフガンの国作りに精力的になっている、ということ。

夏頃にカナダ軍のgeneralが発言した、これは20年もので取り組むものだからね、というのがわかり安い一言で、これを巡って、それでいい(peace makingはOK)、いいやそれじゃやり過ぎだ(peace keepingに留まるべきだ)と、もめてる。つか、でももめててももう行ってるわけだし、それを覆すまでの反対勢力はないといってもいいだろう。

'Afghanistan is a 20-year venture' warns Canadian general
http://en.wikinews.org/wiki/'Afghanistan_is_a_20-year_venture'_warns_Canadian_general


でので、これって、ある種、本家アメリカのリベラルがしゃかりきになりそうなテーマが下敷きになっているところが、カナダという戦争ものに対する過剰なまでの(いいことだが)反対を特徴とする国を、軍事的行動に首をつっこませている。


つまり、つまり、学校に行きたいといってる子供が学校に行けたり、女性の地位のあまりの低さをどうにかしたいじゃないのよという人がいるのなら、私たちはそれを助けるべきでしょ?という話。ここでカナダ人の多くは、そうだな、とならざるを得ない。なんていってもそれを良い事として日々暮らしてるんだから。


が、そこに、いわゆるwar loardというのか、軍事力を持った部族がいて、結構な惨いことも起こってる。じゃあどうするの? 軍事力を引いてそこに行くことが助けになるの? 


となって、現在に至る、と。


でので、カナダ人たちは絶対に認めないだろうが、これって、隣のアメリカの、ネオコンの本義ではあるわけだ。このたびのネオコンは仕事があまりにも荒っぽいは、手っ取り早すぎるはで、いかにも暴力にしか頼ってない、という具合に捉えられ、さらには実際そう言われるような仕事をしたわけだが、伝統的に、自由と民主主義とは言うものの、あまり他国の「作り方」には興味のないアメリカ人の中で、もう一方踏み込んで、「体制」を変えるようなことまでしたがった人々こそがネオコンだとも言える。だからこそ、ネオコンはリベラル変じての人々、リベラル原理主義者と呼ばれたわけだ。


さて、そうすると、カナダが現在アフガンでしている、あるいはしようとしているのは、これと本質的な脈は同じではないのか? ということになる。もちろん、嘘の証拠を使ってなんかしようとはしないし、軍に関しても、ある軍人さんが言っていたが、「あなたたちはどうするつもりですか、じゃないんですよ、あなたたちが私たちを送っている人なんですからね(だから政府を通してあなたたちが引けというなら引くんです)」という態度を明らかにしているし、それに関して恐いとか、嘘くさい感じは、とりあえず私には見てとれない。さすが、みたいな感じだ。


さてさてしかし、ここに、ある種リベラルの「一光」とでもいうべきものが残るってことは、いや、へんな心配だが、私は、ここに、そうだ私たちはリベラル原理主義者よと、隣の大国のリベラル勢がこぞって沸き立ったらどうするんだろうと心配する。そうよ私たちは自由と民主主義のデフェンダーなのよ、と。いつか、共和党の時代ってリーズナブルに温和だったよなとかいう日が来たりして、など思ってしまう。民主党って頭がでかいから恐い。クリントンの頭がそうであったように。あはは。