愛と契約とロバート・キム事件


10年ぶり帰国したロバート・キムさん「私はスパイではなかった」
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1476780/detail

キムさんは出迎えた人たちに手を振り、白東一(ペク・ドンイル、57)予備役大領を見つけては、近づき力強く抱き合った。白さんは1996年、駐米韓国大使館の武官として在職していた当時、キムさんから機密文書を渡された人物。

で、これが疑いをかけられることだったわけでしょ・・・。しかもその判断が、その情報は同盟国である韓国と共有されるべきだ、という自分の判断だったという点で。


でもって本人はスパイではなかったと言っているようだけど、

Kim, a U.S. navy computer specialist, was arrested in September 1996 and sentenced to one year later for passing classified information on North Korea to Col. Baek Dong-il, then a military attache at the South Korean Embassy in Washington.

He denied the charges of collaborating on espionage or taking money in return for spying. He said he handed over the information in the belief that the intelligence should have been shared between the two allies.

http://times.hankooki.com/lpage/nation/200510/kt2005101019493611990.htm


海軍のコンピュータの専門家だった、米国に帰化した、つまりアメリカ市民として海軍で働いた(そうでなければ働けないポジションの宝庫みたいなところだと思うわけだが)人が、米国の機密情報を、韓国に渡したという件でチャージされて、判決が出て拘留されて、ただその仮釈放または執行猶予(probation)という期間が終了したから彼は自由に行動できている、っていうことだろう。その意味では、俺はスパイではないという自由はあるが、その嫌疑からフリーなわけではないとは思う。


前にも書いてるけど、
「ロバート・キム事件」が見せるもの 12:0
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20041121


この傾向をホールドしている限り、韓国は困難なことになると思う。国籍をなんだと思ってるんだという批判は海外在住S.Korean、つまり韓国人からもあったと以前に読んだが、そりゃそうだと思うんだが・・・。

キムさんは「自由の身となったこの瞬間、米国や韓国政府を恨んではいない」と話した。しかし、記者会見中には、時折自分の救命に消極的だった政府に対して、残念な気持ちも示した。キムさんは「韓国政府が派遣した武官と連関したことであり、国のためのことだったのに、政府が“個人のこと”と一蹴し、無視したことは今でも残念に思う」と話した。


韓国政府がもしその時、へんな庇立てをしようものなら、同盟国を裏切る行為にもつながりかねないわけで、そんな、無茶を言わないでよぉ、だったのではなかろうか。


が、しかし、彼は、

After being released from probation last Wednesday, Kim said he wants to teach young (Korean) people about patriotism based on his age and experience.

http://times.hankooki.com/lpage/nation/200510/kt2005101019493611990.htm


彼の年齢と経験で学んだことを元に、今後は若い人に「patriotism」を教えたいと言う。。。愛国主義ってことでしょうか。しかしさぁ、じゃあ、アメリカ人の立場はどうなるの、と私は、去年も、今年も、多分来年もこの件に関しては一貫してこの人の態度に疑問を持つ。


国家を思うのなら、国家に忠義を立てる人をおろそかにしてはいけない、と教えるべきなのじゃないのか。
で、それは、自分で選択した国家があるならばなおさらだと思うんだが。生まれてきた国を恨みに思うのは、究極に言うのなら、意外とどうでもいいかもしれない。なんつったって自分のせいでもないから。だからこそ、どっかに移民すると言う行為が基本的には世界中で、まぁそういうのありだよね、と認められるのではなかろうか。が、自分で選んだ国を裏切る行為に走るというのは、自分の責任を放棄しているものとみなされるんじゃまいか。それは生まれ故郷の国よりももっと大人としての責任の問題がかぶる。ただ、この部分は、リーガルには取りざたされないだろうが、しかし、その分、モラルとして人の間で、長くしこりになるものと移民の国で暮らす私はそう思う。


折しも、またまたカナダ版軍人さんの日が近付いているんだが、考えてみれば、カナダの兵隊さんというのは、60年前には、あるいは、30年まえでも、今よりももっと、「母国」が別だった人が多いだろうと思う。みんながみんなカナダ生まれのカナダ人じゃなくて、イギリス人のまま、の意識の人が多いから参戦したとももちろん言えるんだが、しかしそこで、たとえば、俺はドイツ人だからカナダの機密をドイツに流すに決まってる、というのが許されたらどうなる? 単純に、軍には関与しないようにする以外の選択肢はなかっただろうなと思う(でなければ、その裏切りを恐れられて「隔離」のようなことになる。この部分は日本人にとってはまったくセンシティブだが)。


で、そう、実のところ、この手のルールは、母国にいる母国民だらけの国よりも、人工的に、移民の国として成り立った国の方が、きついと考えて悪い理由はないです。


で、そのカナダ版軍人さんの日にちなんで、第二次世界大戦で亡くなったカナダの兵隊さんで今もヨーロッパに眠っている人は多いんだが、その中の一部が、カナダに移されるらしい。で、そのテレビ番組の宣伝に、以前に総督が読みあげたスピーチの一部が使われていた。ここ1週間ぐらい毎日聞いてるこの部分。


He has become more than one body, more than one grave,
He is a symbol of all sacrifice.


彼は1つの身体以上に、1つの墓以上のものになった。彼はすべての献身を象徴するものだ、
と、そういうこと。


彼の献身が今のカナダを作っていると思うからこそ、人々はこういう儀式を大事にする。


<捕捉>
総督の演説はどっかにあるはずだと思って探した。あった。
涙なくしては読めない。私なんか第二次世界大戦に対していうなら、まったくの敵だってのになぁと思うのに。クラークソン総督(Governor general)は、いろいろ悪評もある人ではあるけど、この人は凄い書き手だなと実は密かにスピーチを聞くのを楽しみにしていたのだが、まったくそうなのだ。


Eulogy for Canada's Unknown Soldier
http://www.canlit.ca/archive/archive2003/179/179.art.clarkson-e.html


最後の部分が上の献身の下りとちゃんと話があう。

The wars fought by Canadians in the 20th century were not fought for the purpose of uniting Canada, but the country that emerged was forged in the smithy of sacrifice. We will not forget that.

This unknown soldier was not able to live out his allotted span of life to contribute to his country. But in giving himself totally through duty, commitment, love and honour he has become part of us forever. As we are part of him.

参考までに即効訳。


カナダ人が20世紀に戦った戦争はカナダを統合する目的のために戦われた戦争ではありません。しかし現れた国はそれらの献身によって作り上げられたものです。私たちはそれを忘れません。


無名戦士は彼に与えられた命を生きて彼の国に貢献することはできませんでした。しかし、義務と責任と、愛と名誉に彼自身を捧げることで、彼は永遠に私たちの一部になったのです。私たちが彼の一部であるように。