ことの本質を見失うな

1月12日の記事は捏造なのか虚偽なのか否かが人びとの関心を読んでいるわけだが、朝日新聞的には、そういうことは全然問題ないらしい。


■NHK問題 ことの本質を見失うな
http://www.asahi.com/paper/editorial20050122.html

朝日新聞は正確な取材をもとに、間違いのない報道を心がけてきた。報道の内容に自信を持っている。

それにもかかわらず、NHKは虚偽報道などと非難してきた。朝日新聞はNHKを名誉棄損で訴える構えだ。

ことの本質を見失ってはならない。問われているのは、NHKと政治家の距離の問題である。その不自然さは今回、NHKや政治家の言い分によっても明らかになってきた


一読。かなり驚く。マジ…なのだろう、と。


朝日は今革命か何かをしているつもりなのではなかろうか。こういう理屈は革命時代などにはおそらく支持される。大義、社会正義、より大きな目的等々を追求するためには手段を選んでいる場合ではないのだ、といったところ。そうだそうだぁ! と。


ところが多くの人々は革命時代にいるとは思っていない。改革が必要なことは知っているが法秩序、社会秩序を抜本的にちゃらにしたいとも思っていない。だから、「朝日新聞は正確な取材をもとに、間違いのない報道を心がけてきた」というステートメントに疑いがあるので、まずそこを明らかにしませんか、というところに気がいく。朝日からみたら小心者の小市民の群れよ、って感じか。君たちは権力の恐さを知らない!といったところだろうか。しかし、こうやって営々と作り上げられて行くところの信用の方が大事なんだと言う人に、大義のためにはウソなど問題ではない、というのも相当大変だ。


また、君たちは権力の恐さを知らない、と言うかどうかは知らないが、政府、政治家を権力という抽象を通してて敵対的、外在的なものとして捉えているという点については、その通りと言ってくれるだろうと思う。が、しかし、権力という抽象語が落ちる先としての政治家、政府、政権という存在そのものを圧力と感じるか否かというのも人によって差異がある。


外在的な存在、敵だと感じる人にとっては政府そのものが敵だろうが、政府というのが、国民の代表により構成されていると考える人にとっては政府は敵ではない。敵でなくするためにこそ「入れ替え」をするわけだし、実際にはその奥で「入れ替え」が徹底されない官僚制の方が問題だったりはするのだが、ともあれ政府を敵扱いせずに安定的に社会運営をすることは理屈の上では可能だ(官僚制の弊害を除くために立法機能を持つ政治家の力が大きい方がいいと考える人もいるだろう)。


さらには、そもそも外国王朝が責めて来たこともだいたいないし、国内地力[訂正:自力]統一というモメントがいくつかあることはある日本にとっては、政府が外在的に存在するという心理機構はむしろ、維持するのが困難なのかもしれない。


どうやっても、どんなに過激なことを上が叫んでみても、現場になったら、みんなで良くなるように考えましょう、だってみんなおんなじ日本人ですから、的な感じに収斂される可能性はとても高い。
(このことをとても悪いことだと発想することから諸々の左翼的諸政策が開発されたのだろうな、順序としては。それの全部が無駄だったとは言わないが)。


Freedom is the right to be wrong, not to do wrong.
自由とは悪くなる権利ではあるが、悪いことをしていい権利じゃない、

自由の結果として悪くなるってことはあり得るわけでそれでもいいならそうすりゃいいんだけど、悪いことをしていいってことじゃないぜ、


ってな言葉を思いださせる事件だ。世の中には別の「ことの本質」を持っている人がいるってのに気づいてないのが痛い。