体験と物語と勝ち負けと戦争と(15日雑感)

8月15日って、つい何年か前までは胸が締め付けられるような気持で臨むという感じがなくはなかった。8月6日から10日余りの間ずっといろんなことを考えさせられる時間が続いていた。

しかし8月15日で世界ががらっと変わったのは日本と、韓国をはじめとした日本統治下にあった国々だけではあると気づいていらい私の一種の閉塞感は拡散傾向にある。

しかしのかかし、日本をはじめとした東アジアだけだというと話はおかしいわけで、アメリカだってそこで戦争が終ったわけだから相応に感慨を持ってほしいものだが、実際のところあまりそういうのはないと思う。

そしてアメリカのこの感じはこの頃さらにおかしなことになっていて、一応単独で正面線をやっていたのは日本だけで、ヨーロッパ戦線はあくまで助っ人だったはずなのだが、どうかすると戦争が終った、WWII終了とはドイツ降伏あたりだけを思い出す人がいたりもする。アメリカの西海岸には今でも日本の商船を叩いた潜水艦が観光客に展示されていたりして、いかにも日米戦は深い傷跡を云々と言いたくなる気がしないでもないのだが、それはしかしちょっと違うだろうと思う。

政治的にはあくまで主戦はヨーロッパだったからと言ってみたい気もするが、そういうことではなくて、単純にいえば、兵隊として明らかに海外に出かけた人以外にとって戦争というのが大して関係ないからだろう。だから、後になって形成された「世論」や定説に簡単に動かされる。実体験でないだけでなく、体験を追想するキーさえないからだ。街に傷があるわけでなく、教育に分断があるわけではないのだから。

と、今さらではあるのだが、実際そうだろうと思う。そして10年ぐらい前は私にしても「そうだ」とまでは思っていなかったのだが、7年か8年か前に、マンハッタンの通りで、古本を広げていた露天商のおっちゃんから、8月12だか13だったか、とにかくヒロシマの直後週だった「ライフ」を買って手にしてみて、これが彼らの戦争だったんだものなとつくづくと思ったものだった。

ちゃんとした紙、50年後に私が手にしても全然問題のない紙の雑誌がちゃんと宅配されていて、それが証拠に人の名と住所がプリントされた紙(シール素材ではないと思うが)が雑誌に張り付いていた。雑誌の中身には、大きなヒロシマの航空写真とともに、靴のクリームだとかあとなんだったかとにかく日用品の広告が、赤黒の2色刷りで出ていた。どこにも「ほしがりません勝つまでは」とも「鬼畜米英」並の感じもなかった。目茶めちゃ余裕だな、と誌面だったのだ。

ドイツ線で欧州大陸が膠着していた頃には、かなり相当、半分でまかせじゃないのか的な誇大なドイツ罵倒の記事なども出ていたと言われているから、そこから考えれば1945年8月にはすでにもう、時間の問題だな、となっていたということなのだろう。


そういう過去の記憶だけではなく、現在見るものでも、ここに戦後も糞もなかったことがわかる。それは、戦前と戦後で別に建物に変化などないからだ。いわゆる戦前の建物、住居だろうがオフィスだろうがそういうものがたくさんある。

戦前か戦後で変わってしまったのは、しかし日本だけではなくて、ヨーロッパの人々も大なり小なりそうだ。だから、「ああ、それ戦前の話 before WWII でしょ」とか「戦後になっては変わったわね」といった言葉が彼らとの間ではなんてこともなく通じる。

そして、これは北米の人にはおおむね通じない。頭でわかっていてもわかっていない。頭の中で、ええっとああそこは戦争に負けてとか終ってとかいろいろ考えないと会話においつかない。ヨーロッパの人で私と年代の同じ人は、たいていの場合、祖父母じゃなくて両親が戦争時代に子どもで、だから戦争の記憶はないが、その後の暮らしで、両親の両親が死んだ、負傷した、おかしくなった、または、いわゆる没落的になったり教育にお金をかけられなかったり、引っ越したりなどなどいろんな、小さいけど重要な分岐点を体験している。で、その子どもたる私たちもおそらく若い時には、その両親の通過した分岐点がどんなふうに巡り巡って、ある時はトラウマになりある時は笑い話になりしながらその後の人生に影響を与えていったかよくわからなかった。しかしだんだん自分も中年になってきて両親の受けた体験が理解できるようになってきた、と思う。

と、思うに、ここらへんが第二時世界大戦に関して、体験を把握でき、追体験できる最後尾みたいな感じなのかもしれない。

その時、私たちと北米人の同世代の差は見かけよりもずっと大きい。

そして当然ながらそれは中国とか韓国の人にもあてはまるわけで、今現在反日的といっている人のかなりの数はリアルに怒っているのだろうかなとは思う。

ただ、だったら、もう戦争するのはやめよう、という具合に話が落ち付く可能性だってあるわけだし、これまでのところの50年の間に少なからぬ人びとと友好的につき合ってこれたとしたらここが核ではあっただろう。が、それが、まぁ無に喫したとは言わないけど、随分様変わりしている。

これはきっと、追体験できる人数の多少と関係があるような気がする。体験のあるものにとって、先の大戦は勝つか負けるかよりも、ずっと、戦争そのものへの拒否感が先立ったのではなかろうかと思うから。そこに、反○○を入れて煽ってみようなどという感傷があるわけもない(言わずもがなだが、これは東シナ海の両端にとってということ)。

そこから考えれば、追体験できない人しかいない国のやる戦争が、マスメディアが煽って、何の感触もなくやる戦争であることには全く不思議はない。アメリカのことね。


ちなみに、日本が負けたから惨じめで、アメリカは勝ったから惨じめではないと考えるのは私はあまり正しくはないと思う。勝つも負けるもなく、元々別に人びとの日常生活は傷ついてはいないのだから。

一応善人面して一言付け加える。傷付いていないのも比較相対的と言う意味だ、と。確実に少なからぬ人びとは亡くなったのだから。そして…(この項どこまで言っても皮肉が抜けないが)、だからこそなのだろう、ワシントンに戦没者の慰霊のためのメモリアル施設ができて、あらたなアトラクション(!)になっていると数日前に新聞で読んだ。