イワシの頭も信心から

クリントンはなんかほんとーにくつろいでいたらしい。今日も時間がなくてニュースを見るというほど見られなかったのだが、一瞬だけ見た。みんなうれしそうで、何人かの女性なんかクリントンの首に抱きついてほっぺたにキスしてたが、ビルはまったく平気。普通のおじさんとおばさんのパーティーの入りぐちかなんかに見えた。友達には、「あんた絶対行ってるなって思ってた」と言われた。行きたかったんだってば、だから。ぐしゅ。


それにもかかわらず忙しいのに夕方から何をしていたかと言えば、「グッバイ、レーニン」を見てしまった。今日さ、家で見るんだけど一緒に見ないかと言われて晩ご飯たべて映画鑑賞会を挙行。いや〜、いい映画。いまさら私が言うこともないけど、東ドイツ崩壊の時の東側の家族の話し。コミカルで、でもなんでこんなに早くいわゆる体制というやつがどどどどどっと変わったのだったかと驚かされた。そして、なぜ人はかくも素早く次の体制というやるにころっと変わるんだろうかとしみじみ考えさせられた。プロパガンダだよ、といわゆる東から来た人は常々簡単にそう言うのだが、そういうことじゃなくて、仮にそれがそうだとしても、どういう名前であっても、なぜそうも簡単に乗る人がいたんだというところが興味深い。もちろんそりゃ不満が鬱積していただろうけど、人が大量に逃げるところまでは、それなりに暮らせる人もいたわけだ。というより、冷静に考えれば、次の体制なり他国で自分が暮らせるか暮らせないのかもまったくわからにのに逃れる方が残ることより志向されるというその判断が凄い。

5年ぐらい前ポーランドに行った時、おばあさんばっかりが残っててびっくりしたことを思い出す。で、ひとりのおばあさんは、「うちの息子は2週間もしたら帰ってくると言って家を出て、2年帰ってことなかった」と言っていた。出たくて仕方がないってのが先で、そこで何をするのかなどほとんど考えていなかったといってもいい人がたーくさんいたようだ。


しかし、それにしてもいろんな物品が登場し、東時代と西時代を分ける役割をきっちり果たしているのだが、コーラだのバーガーキングだのがかっこ良く見えるというその神経が今の少なからぬ私たちには信じられないことなわけだが(私は壁崩壊の時でも信じられなかった)、そう見えちゃう、あるいは今風よ、これが流行りなんだから、とマジで受け止められる人がいるわけだなとあらためて確信した。

つまるところ、こういうムードというのはイワシの頭も信心からと同じ機序で人々の行動が規制されるのだろう。

と、しかし私たち(全体としての日本人)も笑えないわけで、昔、なんでもアメリカものがカッコよく、決して似合わずともジーパンなるものを履くことがいいことだ、という時代があったわけだ。でもって、体制というより日常が8か月足らずで変わってしまったというのがこの映画の1つの見どころなんだが、8か月どころか、ほとんど一夜にして「今日から英語だ」風に発想して進駐軍はカッコいいになるってこともあるわけではある。