食い物の恨みは恐い

牛も食べたし、教会にも行った。私にとっては非日常だが日常の光景をこなす。

とだけ書いたものの夕べは眠くて眠ってしまった。自転車に乗ったら腕が疲労していた。自転車は気持ちいいんだが、やっぱりスポーツではある。当たり前か。で、そんなよぼよぼの自転車乗りでも疲れるのにわざわざレースをする人が世の中たくさんいるわけで、ランス・アームストロングは今では毎年のことになってしまったが、すごい。ツール・ド・フランスの優勝者のおにいちゃん。アメリカ人。US Postalの名前しょってがんばってる。郵便局の代表選手ってところでしょうか。

[追記:オフィシャルサイトはこれだ! http://www.lancearmstrong.com/]
[追記:シェリル・クロウとつき合ってるって知ってました? ガンになって闘病を支える夫人と子供っていう美談があったら離婚して、そしたら今度は有名人の彼女だったのね。たまげるほど話題満載の人生だ。ただ私は男前説はとらない(^.^;;。ものすごくそこらにいる感じの顔だなぁと思う。当然良い顔グループだが。対していえばツール・ド・フランスを見るたび思うのだがヨーロッパ人ってへんな顔してる人多いよなぁ、アメリカ人って似てないか?みたいな気になる。いや個性的な、かならずしも汚いっつってんじゃなくて良い顔なんだが、標準偏差;んなものないけど、からずれてないか、みたいな。どう思います?]


さて牛肉。牛肉は日本にいるときは好きだったがこっちではめっきり摂取量が少ない。霜降り牛肉のうす〜いのを牛刺で食べるとかしゃぶしゃぶにするとかそういうのが私にとっての牛肉。せいぜいいって凝ったソースで少し食べるみたいな感じで、わらじみたいなステーキはあんまり食べない。で、ステーキもおいしく焼かれると今度はご飯が食べたくなる。そうすると肉は量そのものは食べられない。

ここらへんの人の、全部じゃないけど少なからぬ人の食生活はほんとーに効率悪いよなぁと思う。肉でははらいっぱいにはならん。だからイモとかパンを食べるんだが、それでもどこか満腹にならないからデザートまで必要なのじゃないのか?などしばしば思う。それを考えるとごはんはたいしたもんだ。最終的には塩でいける。なにもそんな極限状態を想定する必要もないだろうが。

で、この効率の悪い食習慣は、一般に欧米人の、とか言われている気がするんだけど、それはちょっと違うんじゃないかと私は思う。欧米の欧が食べていたのは乳製品と小麦、若干の野菜で、肉は余禄だったでしょう。自分たちを養うのがやっとの環境が長いのに肉食いを主体にしたらじり貧になる。ってかじり貧だったから外に出たとも言えるんだろうけど、それにしたって全員肉食主体ではなかったでしょう。食肉を工業製品化して大量に食べるようになったのはもっぱら北米人だと思うんだが。


それはともかく、ご飯と一緒に食べたいからそうなるのかなんだかわからないけど我等が霜降りをオーストラリアが増産するという話しはなかなかよいのではないかと思った。可能的にだが。

(6/28)豪、日本向けに「霜降り」牛肉を増産・2年で2割
http://health.nikkei.co.jp/bse/child.cfm?c=4

穀物肥育牛を育ててくれるそうだ。オーストラリアの飼育環境がどうなっているのか私は全然知りませんけど、今から人のフリみて我がフリ直せじゃないけど、北米のマネにならないようになんとかしたらいいのじゃないのですかね、オーストラリア。最終仕向け地としての日本の消費を見越して、そこに特化すればいい。もちろん日本としては国内産にこだわるのもいいだろうし。基本的に私は日本にいる時には、できるだけ国産を買おうという、考えてみれば食物国粋主義者だったのだなと思い出す。そもそも母が随分昔からそうで、できる限りどこで取れたかわかるようなものを買うみたいな意識を持っていて、お米は農家と契約して買っていたし、いろんなものを個人的に知っている人から買っていたし買うようにしていた。別にそれが安心だとか安全だとか決まったわけではないにせよ、まったくわからないものを買うより安心だみたいな感じだったろうか。


工業製品のある種の特徴というのは絶対の匿名性なのじゃないのかと思う。誰が作ったかわからないものをわからない人に向ける。ここに品質に対するこだわりが活きている場合はそれでも全然問題がないのだが、それにはいくらかの限界があるのじゃないのだろうかなど考えてみることもできるような気がする。であれば、オーストラリア産が日本人にとって気持のいいものになるためには、「私たちが食べてます」ツアーを決行して仲良くなるってのはどうだろうか。逆に反感かったりすることはないようこっちも気をつけないとならないわけだが、こういうのはいい循環なのじゃなかろうか。


で、おおまかにいえば、そういうことを北米に求めるのはなんか難しそうだよなとか思う私。個々の生産者にその意識があっても、その上の団体で止められている気もするし。で、意外に思う人がいるかもしれないけど、北米って最も消費者が弱いところだと私は思う。というか、北米在住者ならたいてい気づいていると思うんだが。

どういうことかといえば、選択肢がないものがとても多いからそれしかない環境が多い。コーラが好きなわけじゃなくても、コーラしか売ってない。あるいはコーラが最も安い。水より断然やすい環境が常態化していた結果がここにある。ついでにいえばお茶といえばティーパック以外知らない人も多いな。ティーパックなんて茶葉でいえば最下級品だって知っててもそれしか売ってないところもそして多い。肉にしてもパンにしても同じで、何種類もある中から選んでいるのではなくて、それしか売ってない状態がとても多い。トロントを私が気にいっている理由はいろんなところから来た人がいるせいで、かつ、大事なことにはある程度の消費者人数を確保できるために、大流通網をかいくぐって活きているお店が限界はあるが存在可能だから。だけど、こんなところは稀。

圧倒的にサプライサイドが強いから、たまに稀に消費者が反乱を起す。あるいはとても真剣に考えて作ったり消費したりする人が存在する。で、日本でそこだけ見てアメリカの消費者は強い、ちゃんとしてるみたいな大誤解が生じる。でもそれって概算でいえば大ウソだと私は思うわけだが。これに反論があるなら、消費活動に対して選択肢の存在しない状態が圧倒的な地域だということをなしにしないで、そこから組んで反論してもらいたい。