信義しかないっしょ
なんかこう、冗談ではなく、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、という憲法の前文は次第にリアリティを持つような気がしてきた。
その前に、この訳文、原文trusiting in the justice and faithは、公正さを求める頭と、それが正しいと判断したら決してひるまず支援する誠実さに信を置く、とでも書くべきじゃないかと思ったりする。諸国民の公正と信義に信頼し、じゃ、役所の文書のようだ(=無意味)。憲法改正する前に、憲法訳文改正とかすればよかったのにね。
で、何を言いたいのかと言えば、この一文が述べているのは、オレは勝てば官軍の官軍になる道は断念しますということだと思うのね(笑)。
官軍道をひた走っているアメリカは相当大変そうだけど、とりあえず栄枯盛衰必定としても、ここはできた。明らかに核と資金環流システムのおかげでしょう。で、日本の憲法を支持するしないと関係なく、リアリティとしてこのアメリカと同じことを私たちはできない。
これを勝ち負けで負けだと考えたい人は永遠にそう思うのも楽しいだろうが(苦しいか、できなんだから)、国境を超えて人が行き来したり、お商売している人はもうとっくの昔に気がついているでしょう。そんなことはできないって。
改正反対論者ではないですが、改正するにしてこの基本は譲れないでしょう。
だとしたら紛争(に至らずとも、小さな諍いでも)があるとしたら、私たちはかくかくしかじか考えこのように行動しております、と投げかけて、それこそ諸国民の公正と信義に訴えるしか道はないと思うの。仲間はずれしたりイジメを喜んでいる場合ではない。そういう信義にもとるようなことをやっていいのは、覇者にしか許されていない(祇園精舎の鐘の声がBGMにあるとしても)。
えらく遠回しのことを書いているけど、要するに私は今般の北朝鮮のことを見るにつけ、次のステージに恐怖している。しかも多分それは、見えやすいところでわぁわぁ言っている人々によってではないんじゃないなと・・・思うのだ。看板は所詮は看板かもな、と。
もう少し考え及びソースがはっきりしてきたら書くかもしれないけど、なんせそうだな、と気分は暗いの。