挨拶って多分大事

朝方、1000キロぐらい離れたところに麻生様がいらしていたのね。嬉しく思いますです。

で、予想にたがわず、日本のメディアの中のいくつかと一部米紙とかとかは、麻生さんの支持率が低いからオバマに会って、ちょっといいとこみせようとしたのかもね、みたいなことを書いていたけど、まぁ、正解はないだろうけど、私としてはこれは実際アメが招待したんだし、アメのスケジュール的にこれがいいということだったと思う。

どうしてそう思うかというと、日本では殆ど報道されていなかったと思うけど(特にテレビとか夕刊とか)、先週オバマさんは、カナダに来たんです。オバマさんの初の外遊先がカナダだったわけです。以前にはメキシコが先ってのが普通だったとか聞いた気もするけど、まぁとりあえず近場で大事な仲間を尋ねたのだろうと思うわけです。

オバマ米大統領:米加、環境技術協力へ 初の外遊
http://mainichi.jp/select/world/news/20090220dde007030012000c.html


大事というのはいろいろあるけど、自動車がらみでは部分的に一連托生になっているカナダ(だからお金出してね、でもあるだろうけど)だし、ここと仲良くすることによって、保護主義的に直進したりしないアメリカ政府という線を強調してみせたとも言えるかもしれない(オバマ氏は、選挙戦中にナフタ見直しとか言って騒ぎになっていたことだし)。さらには、グリーンエナジーでどうしたこうしたで協力関係を持つ点で、イメージ的にもカナダは良かったかなとも思う。いろいろ部分的には妥協と交渉はあるにせよ、とりあえず、business as usual(いつも通りに仕事は進みまっせ)を体言したといえるでしょう。


さてそこで、麻生さんというのは、アメリカにとってこれまた大事なパートナーである日本の首相なわけです。その人に次週に会った。なれべてみれば、アメリカは自分たちの大事なパートナーと、これまで通りですよと言ってみせた、ということじゃないでしょうかね。


で、どうしてそんなことがアメリカ人として(あるいはアメリカの大衆へのアピールとして)大事かといえば、やっぱりね、アメリカ人、ぼんやりとした不安の中にいるからだと思うの。

オバマの演説なんて、とにもかくにも、アメリカは大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ、俺らはリカバリーする、大丈夫だ、俺らはやれるばっかりなわけで、これはつまり、そう言っていないと不安な人が確かにいるという意味だと思われ、なわけっす。

日本の中のアメリカ通と呼ばれる人たちがあまりこのへんのアメリカ人のアイデンティティがらみに気を払ってくれないのは、多分、付き合う人がそもそも日本人と仕事している人なわけで、コスモポリタンアメリカ人が多いからではないのか、など疑ってみたりする。それって一部のアメリカ人だからさ、など思う、私は一般人なわけですね。


で、その上で、アメリカ人の大半は現在結構、言うに言えない不安の中にいる、の、うちの大きな理由についてあまり言えない・・・というのも妙に問題なのかなとかも思う。

それはチャイナがらみ。

別にチャイナと喧嘩したいとか仲が悪いのが正しいってんじゃない。でも、ここは、自由と民主主義という、別にブッシュに看板立ててもらわずともアメリカ人的には大事な価値であるものとは、まったく合ってないわけです。合ってるのは、確かに資本主義だけど・・・の部分だけ。


それなのに、現在、なんたって盛大に借金してるもんで、何も言えない。実のところ、殆ど報道管制かっつぐらいに、誰もチャイナに文句を付けない状態が続いている。それを見越して、チャイナは世界中でキャッシュでほっぺた叩きながら資源買いに走ってるは、あちこちで援助がらみなのかなんなのかの覚書交わしたりなんだり急がしそうだ。政府系ファンドをどう規制したものかで悩んだのが嘘みたいな状態がここにある。


アメリカに限らずイギリス系とかもそうだけど、現在、おおっぴらに盛大に文句をたれられるのはロシアだけってんで、成り行きで、何事もなかったように、ロシアを叩く際に、自由とデモクラシーの政体でないと散々言っているわけだけど、読んでて、なんか空しいよなぁとか私は思ったりする。

デモクラシーつか、議会制民主主義的な手続きの定着度でいえば、ロシアなんてチャイナとの比較でいえば遥かに上だし、この肝になっているのは、私の考えでは、全土的に連邦政府による法執行能力が届く、という点だと思う。多分、民主主義的手続きってこれが慣習化されていないと成功しないと思う。日本にいるとあまりにも昔からそうなので忘れそうだが、カナダもアメリカもつい150年前ぐらいまで、事実上、どうでも関係ねーぜ、の地域が一杯あったのでそうなっていく過程が難しいことをよく考えさせられる。そうして場合によって武力が少なくとも担保として必要な理由もある程度理解できるっす。


お話戻って、そういうわけで、自分たちにとって、褒めたくもない人たちを褒めつつ、持ち上げつつ、自分たちにとっての価値を失っているというのが現在のアメリカだと思うのね。

そこで、価値観問題で問題のない仲間の国との関係に問題がないことを示すことは非常に重要だったと思うわけだす。


しかし、多分、一方で、日本の側でもこれは何か重要なことを言って来たのかなぁとかいろいろ思ってみたりはする。アメリカとの関係はいつもの通りですよ、をわざと再度言及する必要性がある、この順番は大事だ、といった事情が、など夢想はする。麻生さん、律儀だと思うし。


こういう仕事仕事した部分だけで動くもんでもないと思うわけだす。
オバマ米大統領「日本は内需拡大を」 首脳会談、ドル信認維持
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090225AT3S2500925022009.html


[補足]

思い出したので追加。
ことここに至るまで、日本というかアメリカにいる、または取引のある日系企業=非常に多くの日本人に連なるほんまもんの日本人が、民主党政権を嫌い倒している、その流れでアメリカそのものに対して非常に冷たい態度を取っているという点は、去年から結構アメリカで知られていた(メディアに出るとかそういうのじゃなくて)。絶対に自分たちに取って良いことにはならないという堅い意思のもと、防戦を覚悟でいる日系企業および日本人、だったわけです。

一方で、トヨタの車が売れ、ゲームやら映画やらが売れ、なにくれとなく日本に好意的な視線を向けるアメリカ人は過去20年間のうちにしっかり多くなっていると思う。ゲームとかアニメはボラが高いので置いておいても、特に問題なのは地元密着型でがんばる日本企業に勤めるアメリカ人たちが日本を支持する傾向が強くなったと思う。みんなでがんばって良いもの作って良い組織を作るって良いことに決まってるというのは当たり前ですが地道で気の長いサポートになる。

この様子は普通にそこらの掲示板をのぞいていても、おお、と分かることがあります。日本が絡むと特殊アジア勢力がいろいろ勢いを増すんだけど、アメリカ人が結構冷静に言い返している(日本にとってはサポートされている)という事情を私自身も何度も見ている。

自動車ものや、アメリカ製品だけをといった話で80年代のような日本叩きにならなかった理由は実際あったし、事実そうなった。


自分で体験した中で印象に残ったのは、既に2年ぐらい前に、北米内の旅先で偶然会ったまさにデトロイトの人との話。私は、面倒を避けて車の話はしたくなかったのだが結局そこに行ってしまった。彼女も彼女の家族もみんなビッグ3の組合がらみの人たちとの付き合いで、友人たちを失っていったのだ、ということだった。どうしてかというと組合をサポートするかしないかというのが友人間の会話の中にやっぱり入ってくるかららしい。で、彼女(おばさん)とその家族の半分ぐらいは、小さな店を自分で切り盛りしている人たちなので、組合一辺倒のやり方とはそりが合うわけもなく、次第次第に友人とかお客さんとかを失っていったらしい。

で、今となっては恥ずべき態度だが、私は、その矛先が日本に向いたらどうしようと一瞬思った。確かに。しかし、そう、今思い返すと、彼女は、私の不安を多分一瞬見たのだと思うのだが、デトロイトの車メーカーの凋落は日本企業が悪いのではないの。日本企業は昨日来たわけではないし、この間に取り返す時間はたくさんあった。結局、みんなが欲しがる良い車を作った日系メーカーが勝ったというだけの話なのよ、と言った。


80年代の日本車叩きの時代から学んだ人たちはいたのだなと私は思ったし、そうであるならば、昔デトロイトおよび北米一体に住んだ日本人が、ちゃんとしたものを作って売るために苦しんだことも無駄にはならないとか思ったのだった。


と、そういうわけで、日本とアメリカの間で戦ったからこそ培われた、得がたい絆っていうのはあると思うのよ、私は。そして、オバマ「でさえも」、多分、クリントンでさえも、アメリカ政府がどういう方針を取ろうとも、それを無視できないということだと私は思ってる。これは、他国との貿易を必要とし、諸国民の信義を信じる私たちとしては、非常に良い事例だと思うの。私としては、先立った人たちが作ったものを壊してはいけないと、(できるかどうかいろいろ難しいが)常に肝に銘じてるっす。


オバマでさえも、と言ったのは、クリントン(女)は別として、オバマ氏にはちょっとは日本を叩きたいとか無視したいといった伝統的民主党的傾向、あるいはブリーフィングまたは教育の成果が見えていたこともあったから。オバマ氏は実業経験がないから、教育されたとおりになりがち。

 賓客・・・


ふと思うに、これは正しい表現なのだろうか?

首相はこの後、「外国の最初の公式な賓客としてホワイトハウスにお招きいただき、非常に感謝する」と謝意を示し、「アジア人として光栄に感じる」と低姿勢だった。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090225AT3S2403C25022009.html


日経さんのこの文章では、麻生さんが自分で「賓客」と言ったように書いてあるのだが、賓客とは、向かえる側が使うのでは?自分から大切な人とは言わないでしょう?


多分、麻生さんは、first official foreign guestとかなんとか、自分をguestと言ったのでしょう。最初の外国からの客として、と。で、それを日本語の書き言葉として使うと、そう、このゲストは訳しづらい。
最初のゲストとして、ならいいけど、最初の客として、じゃ、相手に対して失礼な感じがしてしまって、そこで、2文字並んだ「賓客」をちょっと偉そうに感じるから使った?

でも、これは、
外国からの最初の公式な客としてホワイトハウスにお招きいただきありがとうございます、

といった感じが、おそらく麻生さんが言った文意になるのではなかろうかと思う。

どうでしょう。私、間違ってるかしら。


低姿勢だった・・・。この感想は何?