映画みたいなオリンピック

基本的にスポーツ祭典というのは結構好きな方なので、これまでの人生の中のオリンピックはそれなりにしっかりウォッチしてきたかなと思う。が、今回はたまたま私が上手にそういうネタに飛びつけていないから、ってのもあると思うけど、なんかどこでもあんまり熱心に特集とかやってないよね? という感じはしてる。


とはいえ、今回の主眼は、各種スポーツの中身というよりも、まず開催全体だろう。
どうなっちゃうのかよく想像できないってのがまず大きすぎて中身に行けない、みたいな。


で、政治的な問題もさることながら、物理的、身体的な問題がある。この健康的であらねばならない人々の集合大会に汚い空気がまず問題。で、マスクの出番・・・

北京五輪用に当社の防じんマスク“サカヰ式ハイラック”が採用されました。

http://www.koken-ltd.co.jp/mini/topic1.htm


北京のオリンピックへのマスクが採用された興研株式会社さんのページ。


装着例の写真を見て、やっぱりこの、どんなオリンピックやねん(笑)、と言わずにはいられない。


紙に近いようなさり気ないマスクかと思ったら、本気のマスクなのね、これ。

当社のサカヰ式ハイラックシリーズは、通常は医療施設の感染対策や作業現場の粉じん対策に使用されています。


一週間ぐらい前に、米国選手団もマスク着用するらしい、ってのを読んだから、どこもとりあえずマスク携帯で行くんでしょうね、きっと。ま、何かあったら、どういう事態でも使えるからいいか、みたいな感じでしょうか。どんな事態でも使えるように、とかいうんで、念には念を入れて毒ガス対応とか、宇宙船対応みたいなマスクで来るチームとかあったらどうしよう。片手にマスクを持ってるのが一目瞭然の写真のキャプションが、「にこやかに観客席に手を振る選手団」だったりするのかな。何、このシュールさ。


もうそんなこと言ってもまったく仕方がないのだが、最近になってもカナダの報道では、IOCは恥を知れ、とか書いている。こんな選定をして選手にリスクを負わせるのはおかしいだろう、という正論をこのシュールな図の中で語るというのが、なにかこう、映画の一部分のようだ。


オタワシチズンという、いわゆるリベラルなちゃんとした新聞なんだが、それによれば、持久走系の競技者は、オリンピックに出ることで生涯に渡るダメージになったらどうしようかと心配している、とある。今さら目新しい話ではないけど、やっぱりどこまで行っても、どう考えても、マスクの心配をしなければならないようなところで走るって、ものすごい暴力だしょ、それって、というのは譲れない。


USチームのドクターが、選手からどうやって用意したらいいかを尋ねられてきたそうで、「ロサンゼルスに移るべきでしょうか」とか「ラッシュ時にバスにくっ付いて走ったらいいでしょうか」と聞かれた、とある。
(最初、ロサンゼルスに何の関係があるんだろう?と5秒ぐらい考えたが、車公害の街で走ればいいのか、ってことだと気が付いた。)

半分冗談で言ったんだろうとは思うももの、でも、マジで、そういう事態ではあったのだ。ここ数年、世界中で何百人、何万人という人たちが、どうしてこんなところで・・・と、何度言ってもはじまらないことを言ってきたんだろうなぁと思うと感慨もひとしお(?)。あとちょっとで、とにかく結果がわかるので、がんばりましょう、マスク持って。


ちなみにそのドクターは、そういう公害に慣れるようなトレーニングはするなと言ってきたとのこと。さて、どうでるんでしょう? 汚染空気耐性とかやっぱり関係ないことはなさそうだよね。どうなるんだろう。


やっぱりこの、このオリンピックは、B級映画的ににマッドな感じがするなぁと思う。
今までたいていの人がそれが常識だと思っていたことが、全然通じなくて人々は最初違和感を持っていたのだが、強力な力が差配するその世界では、人々はそのマッドな感覚に慣らされていく。で、オタワシチズン(この名前が映画にぴったりだ)が正論を吐いて、人々に異端視される、みたいな。


本日付では、北京の空気は好ましいレベルに行ってないらしい。
http://news.yahoo.com/s/huffpost/20080729/cm_huffpost/115484

車両を減らして、オリンピック関係以外の人の旅行者をやめさせたりとかいろいろしているみたいだが、改善しない。そもそも北京の空気が汚れてるのは、車だけの問題じゃなくて、近郊の工場からの揮発性有機化合物だの、風上にあたる地区からの炭鉱施設だのとの相関もかなり高いんだから北京だけじゃなくて周辺と協力しないとだめだろう、とある。(してないのか、北京??)


一方、北京当局らしいところでは、
ヘイズ(もや)は空気の質が悪いって話じゃない、と反論している模様。
http://www.chinadaily.com.cn/olympics/2008-07/30/content_6888170.htm


ちょっとなぁ、もやが発生しやすい天候ならさらに空気の質が低下することを怯えないとならないわけで(トロントだってヘイズがあったら非常に空気が悪くなる)、反論が外れていると私は思うわけだが・・・。

しかし、この言い訳、マッドな映画の脚本には忠実だと思う。


アスリートの健康が損なわれるようなことがありませんように。
任意の観客の方は、完全に自己責任だと思うが。

 勝った後の方が不安だ


チャイナ・ハンズが見る日本(7)中国が金メダルで米国を超える日(2008/7/30)


チャイナが金メダルで米国を超えたら、米国民がショックを受けるのではないのか、そのショックは「スプートニクショック」のようなことになるのではないのか、というお話。

個人的には、そんなことにはならないんのでは?と思う。米国民ってオリンピックに思い入れがあんまりないから。ま、一応、悔しいだろうが、そんなことより経済だ、馬鹿者、の時代だから余計、散漫にしかショックを受ける層がいないと思う。

そもそも、オリンピックでの優位性って、戦後においてオリンピックに命かけてたのがソ連東ドイツだったことを見ればわかるとおり、もっぱら東側の諸国にとってのみ存在したのじゃまいか?


つまり、全体のリビングスタンダードで勝てないから、スポーツとか芸術とかで、西側的退廃に染まっていない我々はすばらしい、と言いたかった、と。ナショナリズムというより、戦後のオリンピックはこの宣伝舞台だったと言ってもいいのでは? 


従って、それが理解できてしまう西側諸国においては、オリンピック熱と自らのアイデンティティは結構緊密でない、というのが私の見解。プロスポーツ好きが多いし。


それよりも、私が怖いと思うのは、勝っても、たいした反応(特に尊敬みたいな)がない、という事態を迎えた場合、チャイニーズはどうするんだろう、という点。


オリンピックを巡る命の賭け具合ってもんが違う、という点にまず気づいてない。その上、時代はもうすっかり、そういうスポーツをする人もいるけどそんなもので国力ははかれませんよ、とか普通に言うのがむしろ常識的な西側諸国民。勝った人には賞賛は惜しまないが、それはそれとして、それで国家Aが偉い、なんて、まぁ普通誰も思わん。


そこに、チャイナは強い!と得意満面の人々が出てきた場合、これを不愉快な気分で見る人々が世界的に輩出することになる可能性は高い。しかし、チャイニーズはこれをなぜ不愉快に捉えられているのか、多分わからないだろう。なぜお前も喜ばないのだ、とか、ジェラシーだ、ぐらい言い出すかもしれない。すると、さらにその不愉快感は拡がる。悪いことに、多分、これは表面的な論争にはならず(勝利者には賞賛を、ってのがモラル的に正しいから)、そうね、素晴らしいわ、と言って冷たくスルーになるんじゃないのか。

メディアがチャイナの時代だのなんのと書けば書くほど、人々はむしろ冷たい違和感を持つかもしれない。

従って、チャイニーズにとっては、勝っても思っていたほどに自分たちをセキュアにしないという結果に戸惑うということになるかも。想像するだに痛々しい。