ザビエルと私の日本

連休中日本に帰っていて、つい数日前にこっちに帰ってきた。どっちも帰ると書きたい心境で表現に困る今日この頃。でも、実際にはこのへんにはそういう人はたくさんいるので特に気にせず行くときも、日本に帰る、こっちに来たら来たでカナダに帰ってきたと言ってしまっているのが日常。

さてしかし、日本はいい国だと、なんかこう自分の国をそう書くのは少し決まりが悪い心情もあるのだが、やっぱりそう思った。別に成田の空港で安倍氏の演説を見た(なんでだかロビーのモニターに映っていた)からでも、本屋で、ああこれがうわさのその本かと氏の本を見かけたからでもないが、美しい国には違いないと心からそう思った。

特別なファクターとしては5月初旬というのは北半球ではだいだいどこでも美しいという時期なわけで、その時期に電車に乗って、緑と青のコントラストがはっきりする晴れた日の田んぼの光景を見たせいがあるかもしれない。田植えが終わったばかりぐらいの田ではそれほど緑緑していているわけではないが、空の青さと、言うところの里山というでもいったものか、日本らしい光景の代表選手かもしれない丘のような低い山々が濃い緑となり、まばらに藤、ごく稀に、あれは多分蘇芳か場所によっては山桜の類かといった桃色、夏に向かうシグナルのようにも見える明るい黄色のヤマブキがぽつらぽつらと配色され、その間に水がたたえられているというのは、なんとも言えず心が和むものがあった。

しかし和むのは景色のせいだけのわけはなく、やはり和む人というのがいるからこうなるのだとも(いささかオカルトじみた言い方だが)しみじみ思った。小忙しく動く人々であるにもかかわらず、なんかこう、いい人だなぁと思わずにはいられないおっさん、おばさん、おにーちゃん、おねーちゃんがいっぱいいたんだもの。

殊に今回はJRに結構乗ったのだが、この旧国鉄、私の心情的には今でも国鉄のこの会社というのはなんというか、文字通り日本の基幹かもなぁなんてことも思った。たいていあまり良くは言われない業種および業態かとも思うのだが、なんといっても定刻通りに大量の人間をちゃんと輸送しつつも、ちゃんと人々に応対できて、ちょっとしたトラブルがあればかなり迅速で親切な対応が可能な仕組みとそうすべきだという心持ちみたいなものがあるというのはまったく素晴らしいの一言につきる(詳細は下に記す)。これは一朝一夕にはできないわけで、なんかこう、大げさなようだがこの仕組みは日本の宝物だ、みたいな気さえした。いや、いろんな意味で実際それはそうだけど。

と、なんだか目いっぱい感激した外国人みたいな感想を書いているのだが、さらにダメ押しみたいにまだ言えば、日本に行った外国人がいろいろ個別の不満はあるだろうが総体的には、日本っていいところだったわ、人々は親切だったわ、ってなことを言う気持ちがわかるなぁとここ数年帰るたびにしじみじわかるなぁと思えてきたところではある。

以前はそうは思わんかったのかといえば別にそういうわけでもないし、基本的に日本はよく組織化されて、人々は秩序を重んじ、一過性のお祭り騒ぎを除けばあまり混乱のない国だという認識はあった。また、日本以外の国、殊に北米との大きな差異は、自然秩序との共存体制がほとんどドグマの領域としか思えない感触(たとえば霊といったターム)を介してかなり古くから今に至るまで同じメカニズムとして現役です、ってなことかなどとも思っていた。だから、このへんに竿でも釘でも刺して日本を覗き込めばかなり興味深く、かつ、現在の環境がどうしたこうしたといったテーマに寄与するものもあるだろう、みたいなこともしばしば思っていたので、離人的でなく自然を語りたいと思う向き(現代に求められているのはこれだと思うが)には一考する価値はあるんじゃないのかとの認識を持つものものでもあった。

つまり、私自身の頭の中で考えていたことに関していえば、2年前も5年前も今もあまり変わらない。ではなんで今回はそれを言ってみたい気になったのかといえば、多分、北米での生活が長くなってくるにつれて、自分なりの仮説が、まぁだいたい合ってるんじゃないのかな、という気になったからかななど思う。つまり、これは日本だけの話なのか、それともどこでもあることなのか、といった汎用性のあるものと個別のものの区分に若干の経験値が加わってきたので、言い換えれば、Aを語るために、Aではないものを少し知ったので、だんだんAを語ってもいいようになってきたのではないのかな、など思えて来たからではないのかと、我がことながら推測してみたりする。ま、このへんはまだまだ自分なりに詰めていく楽しみなテーマとして取っておくにせよ。


と、長々と自分の頭の中を整理してみたくなったのは、さっき、finalventさんのところで素敵なエントリーを読んだからかもしれない。


ザビエルが見た四五〇年前の日本人

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/05/post_a0a9.html


私のは1週間前に見た日本人なんだが、なんかこう、いくつかの点を除いて、かなりそのまんまやなぁという感想を持った。

「日本人はたいてい貧乏である」「貧乏を恥辱だと思っている者はひとりもいない」この二点において、断言していいが、日本に五〇〇年間進歩も退歩もなかった。それが普通だと思っているのだ。なぜ日本人はそう思っているんだろうと、異国の人にとっては奇っ怪極まることなのだ。ちなみにグローバルに言えば、「世の中には貧乏人に芥子粒ほど関心をもたないすげー富裕者がいる」「貧乏は貧乏人とっても恥辱だし、富裕者にとっては嫌悪」ってなものだろう。


特にこれ。ただ、貧乏を恥辱としない、というより、多分、お金じゃないんだ、正しいのはちゃんと働くことだ、みたいな感じ方、考え方の有効性が他諸国と比較してものすごくでかいんじゃないか、と言い換えてみた方が事態ははっきりするのではないのかとザビエルに意見してみたい気もちょっとする。もちろんザビエル感でなんにも間違ってはいないのだが。

翻って北米は、プロテスタント的に作った国ではあるから多少そういう気配は残るものの、結果的にどれだけお金を持ってるかにかかってるに決まってんだろーの前に、ちゃんと働くことの重要性なんて吹けば飛ぶようなお題目と化しているといっては言いすぎだろうか。いや、言いすぎじゃないっしょ。ロッテリーにかけるあの情熱を見れば。


で、この、ちゃんと働いてることの重要性が、私が一週間前に感心しながら、なんだかこう涙腺が緩みそうになったりもした、あのこまごまとした田んぼやら、ゴミに出すために、ゴミ回収の人が持ちやすいよう、ほどけないようにきれいに紐をかけてきちんとゆわえられた段ボールやら古新聞、雑誌といった光景にもつながるんだろうと思う。

また、宅急便を何度か使ったのだが、その連絡網と時間管理がきっちりしていることも、修理サービスの納期がしっかりしていることにもつながってくるんだろうと思う。すべてきっちり仕事をする、仕事をするならきっちりやる、という傾斜が美しく現れたケースだったわぁとしみじみ思い出す。(もちろん、こうしたことがどこかで非合理につながることもあるだろうと考えて考えられないことはないのだがそれはまた別の機会に考える)

うっかりすっかり北米スケールになれた私は、パソコン修理の修理サービスが想定期間内に終わるとは実のところ予想もせずにいて、多分帰国前には間に合わないであろうというリスクの元に行動していたのだが、電話で途中連絡を受けた際に自分の旅程を伝えたところ、「では納期は守れますので、大丈夫ですね」と言われて、むしろはっと驚いたほどだった。納期厳守って、マジで生きてるんだものなぁ、みたいな。

上で書いたJRの場合は、私はJapan Rail Passという2週間で4万1000だったか2000円だったかの期間内乗り放題パスを無くすという大チョンボをした。まだそこまで乗ってなかったので完全に無意味な損をしたものだと半分諦めていたのだが、状況からおそらく今乗って来た電車の中で落としたのではと思ったので、とりあえず駅員さんに話したところ、ホントに親身になって連絡網らしきものを駆使して探してくれて最後に車庫に入った列車の中から探し出してくれたのだった。

これは普通には親切だったというべきなんだろうし、私自身もそのように感じ感謝以外の何ものも頭に浮かばなかったのだが、後で考えてみるに、彼らのあの捜索オペレーションを支えていたのは親切心というよりもっと根性のある、多分使命感とでも呼ぶべきものかもなぁと思ったりもしたのだった。旅をしている人の便宜を図るのが我々の仕事なんです、みたいな。だからこれを達成できることを彼らは名誉、最高の喜びと感じる、と。そうでも考えなかったら「お客さーん、ありましたー」と息せき切って走って来てくれたあの駅員さんのキラキラした顔を説明できないだろうと思うのだ。


そういうわけで、

私には、日本人より優れた不信者国民はいないと思われる。日本人は、総じて良い素質をもち、悪意がなく、交わってすこぶる感じがよい。かれらの名誉心は特別強烈で、かれらにとっては名誉がすべてである。

(上記でFinalventさんが「海から見た戦国日本 列島史から世界史へ」から引用されていた文)


は、今でもありなんじゃないかなと思う。ザビエルの本を買ってくればよかったと今更ながら残念。
Finalventさん、いつも本当に興味深い本やら事象やらをご紹介くださって感謝感謝です。