「チャーミングで自然だ」まで来た

Koizumi takes a turn with Gere
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/4390753.stm


リチャード・ギアが熱い行動に出た(発言するとは行動だ)らしいとは読んでいたのだが、これはBBCの記事。


写真・・・。どう見ても酔っぱらった初老の男二人にしか見えない(笑)。で、この二人が似てるという人があるのだそうだが、えええ??? って感じだなぁ私は。BBCはそこには言及してなかった。画面右端には、二人のダンスのビデオ付き。なんでやねん。


と、別に私は純ちゃんのファンというのでもないが、日本国の首相として、

Afterwards Gere described Mr Koizumi as "charming and spontaneous".


これって値千金だと思った。ダンス(プ、だが(^.^;;)の後に、リチャードが、小泉を「チャーミングで自然だ」と表現した、らしいのだ。


日本人の側からすれば自然に普通にふるまってると見えるでも、非日本人からはそうは見えないこともあるし、そもそも非日本人相手には堅くなるか逆にくつろぎすぎてエラク、bluntというか無礼な感じに見えてしまう人がとりあえず定番であり、この感じがある種の日本のイメージを構成している中で、この言及はいい。もう、純ちゃん止めてもいいぐらいだ。


日本のコンセンサスとしては、この手の行動に出る人は「おっちょこちょい」という表現がぴったりだとは思うが。あはは。


いやいやどうしても自分で書いててもちゃかしたくなってしまう話ではあるし、見かけとか行動の当たりが良ければそれでいいとも思わないけど、でもどうもなぁ・・・(異質だよやっぱり)という印象ばっかり持たれていた歴史が長すぎるわけで、こういう感じをうれしく思うのはそれこそ自然なのではないかと一応自分のミーハーさを弁護してみる。大平正芳ばっかり、がもし続いてごらんなさいよ・・・。きついよ、やっぱ。


「まごころは見えないのです、だから私たちは包むのです」。昔大学生の時冬休みにバイトした二子多摩川高島屋のある主任がそういってた。私はかなり感動した。だから丁寧に包装しろよ、このバイト、という意味だったとは思うが(あはは)、でも、それでも一理も二理もあるよなと思った私はインターフェース重視派なの、これでも。



この「事件」についてのエントリー内でのgoriさんの一言。そういやそうだわと思ったのでクリップ。

リチャードギアって熱いな

そういえば日本のアーティストって戦争反対とか環境保護とかテレビ的に当り障りの無いアピールはしてるみたいだけど中国や韓国のやり口に反発するような政治的アピールしたってニュース聞いた事が無い。そういう主張をするアーティストがいないのか?取り上げるメディアがないのか?

http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/000498.html




・・・これが、リベラルがいないってことの一つの証左かもしれないな。


<続ネタ>

ほぉ。


メディアの腐敗2例

たぶん、官邸での「ハプニング」は、誰かが仕組んだのでしょう。ギアはきっとサプライズで、総理を隣にして中国批判するだろうから、機先を制して、総理が手を取りダンスの真似事をすれば良いと入れ知恵した人間がいたはずです。官邸の人間か、記者クラブの側かは解りませんが。

http://eiji.txt-nifty.com/diary/2005/03/post_31.html


作家の大石氏はこのようにおっしゃっている。つまり、あのままダンス(プッ(^.^;;だが)していなければもっとエグイってか、ギアはつっぱしって何か言うだろうという予想があったとお考えの由。


なるほど、だから、こう来たかと考えたギアは最後の写真撮影の時間になってマイクを自ら取って主張、と。そうなら、なおのこと、やるじゃん、ではあるし、この感じはそういえば、マイケル・ムーアのアカデミーでのやり方を思い出させるものがある。


そうなら・・・。ムーアを褒めちぎった人々がなんでここでGJ!って言わないのよ、など言ってみたいものはある。


政治的な問題を映画にまで持ち込んだ、なわけだが、当時誰もそれを批判なんかしていないよな、と笑ってみたいものも当然ある。ダブスタだよなぁと苦笑。