リベラルを叩く
これは重要な指摘だわと思ってよみました。「むなぐるま」さんの最近のエントリー。
日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか
http://munaguruma.air-nifty.com/blog/2005/02/post_3.html
アメリカ政治の問題について、リベラル系の動向を知ろうと思ったら、The Nationのサイトを見るとか、ブログではKos, Atrios, Talking Points Memoをざっと読むとかの方法がある。日本の場合はどうだろうか?
で、もともと常に政治的な勢力がかぶってしまってリベラルを十分に発展させられていないところに根源的な理由はあるんだと思うんですが、その薄い層をさらにえぐるように、リベラルっぽい人の意見をかっさらうように、いわゆる「反日家」(by 若隠居さん 1))めいた人々の意見が表に出過ぎるってことが常に問題なのでしょう。単純ですが。いや、だからいつも同じ状況かもしれない。確か柄谷行人の『日本精神分析』の中にもあった、小林秀雄ががっくりしていく経緯ってのはこのへんなのじゃないのかなと思う。
今日はやけにfinalventさんに絡んでるみたいだけど、時々氏のサイトにいわゆる「うんこ投げ」(by 同氏)が発生する、しないということがあるように見えるけど、これなども同じ経緯だと言ってよいのであろう。両者ともに、右翼とみなされるわけでしょ。馬鹿げているわけだが。
ここをどうにかしないと、なわけだけど、やっぱり多くの人は「うんこ投げ」に弱いということでしょう。しかしながら、であれば誰が「うんこ投げ」をしているのか、とても個人とは思われない、というところが焦点なのでしょう。
1) 下のコメント欄。
http://blog.goo.ne.jp/wakainkyo/e/18b085cef3037d83bece669a7ac2424b
にせ藤沢人さんの「にせ日本人@反日生活」というアイデアを受けて。あははの展開となったと。で、こういう書き方をすると、ふざけている、とみなされていわゆるメジャーストリームでは絶対に取り上げられることはなくなるわけだけど、こうでもしないと気が塞ぐという展開になっているということなのでしょうと思う。リベラルな人々にとって。
[捕捉]
[中国 ]「中国的民主」の現実
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050204
上の状況を捕捉し得る重要な指摘だと思う。「世界」に載ったという「中国的民主」あるいは憲法についての状況に対する批判的な視点を紹介されている。
しかし私が重要だぁ〜と思ったのは、それそのものよりも(だってそうらしいじゃん、なんで今さらってな話なんだもの)、梶ピエール氏のこの指摘。
これを「新左派」知識人たちのように、単なる西洋中心主義的な法学者による偏見として切って捨ててよいとは、僕には到底思えないのだが。『世界』もたまにはやるじゃない(なぜ2004年5月号の論考に対する批判が今頃になって載るのかは謎だが)。
リベラルであり得た人々ないしは場、ないしは論著を塞いでいる思考がある、ということだろうと思うし、それの核が「西洋中心主義的な法学者による偏見」なるアイデアだ、ということじゃないですかね。これは私の見解であって、引用元の梶氏のものではないです。ご注意ください。いずれにしても、とても重要。赤丸つけてたんだけど(どうやってよ?)ここに置いておこう。