脳内カレンダー

私は今、暑さ寒さも彼岸まで、と自分に言い聞かせながら、もうちょっともうちょっとと思って寒い季節をしのいでいる。しかし実際には全然もうちょっとじゃないわけで、もう、終わりでしょ〜と思う頃まだ寒く、そこ、すなわち3月の下旬になって毎年へこたれることになっている。つまり、ここのカレンダーと私の体内(含む脳内)カレンダーがあわない。


だからfinalventさんがとても面白く書き起こしてくださった今日の「極東ブログ」内のこの、初回の紀元節を設定した際の人々の感じはとてもよくわかる。何をいわれてもそうなんだからしょーがないっしょ、だっただろう。

初回の紀元節というのは、大半の日本国民にとって、まったくもって、ただの正月だったのである。新暦みてーな西洋暦(グレゴリウス暦)でアジア人は生活することはできない。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/02/post_9.html


しかし、これはどうかなぁ。

 いずれにせよ、現代日本は、休日もひょこひょこフロートさせるのだし、特に建国記念の日の日付については法的根拠もない(政令による)なので、今後は、建国記念の日も、正しく、春節に合わせればいいのではないかと思う。いや、マジで。建国記念なんてそんなもの。いやいや、そんなふうにめでたいものだ。爆竹BANGBANGBANG


脳内というより論理的にはそういう帰結に歩があるのはわかるんだけど、だけどそのはっきりいえばかなり迂闊な、あるいは強引な、あるいはなんだよこの暦オタクとか言いたい人々(オタクでない暦学者なんていないと思うが)が「紀元節」を作ったにせよ、これを、そういうもんでっせと言われてそういうものにしてしまった人々、つまり私たちにしてみたら、いきなりそっちが正統ですと言われても体内も脳内もついていかない。いい加減なカレンダーでも自分のデフォになってる人が多いわけで、建国記念日っつたってねぇ、なんの日なんだかまったくと一人ごちるというこの習慣さえ既に歴史なのじゃないのかしら。毎年この時期になると暦のことを考えるってのさえ根源になっていくような(笑)。


finalventさん、頭よすぎっすよ。ヘーゲリアンか?など言ってみたいものがある(もちろん尊敬の念をこめて)。あるいは森鴎外か、みたいな。わかんないけど。


昨日書いたように、第一列が決める正統、非正統と第二列のそれはどうしてもずれる。そういう話だと思う。どっちも大事だけど、国民国家っつーか、民主主義っつーである以上、何を直すにも修正するにも、同意、周知徹底、そして時間的余裕をもたせないとならないわけで、それさえクリアできるのならなんでもありだと思うけど。なんでもありの慣習法擁護的私だからかもしれない。