インフルエンザについて@カナダ雑記


とか呑気に、カナダの去り行く冬を楽しんでいたら(あはは)、インフルエンザ問題で、1年間の語学留学を中止すべきか否かで迷ってらっしゃる方の質問を見かけた。ご両親が、カナダで感染者が出ていることを受けて、中止しなさいとおっしゃっているとの由。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4927196.html


心配ですよね、やっぱり。ここはSARSである種ミソがついてますから、世界的な悪評もあるし。


どうなんだろうなぁと心配しつつ、ちょっと、もしカナダにいらっしゃる方とかカナダの情報をという方がいらしたらと思って以下思いつくまま書いてみます。


(一般的な情報の取り方)

・カナダはいささか広く、かつ、アメリカと同様州の権力が大きく、かつ、保健行政は州の管轄なので、まずどこの街に行くのかを考えてから情報を取らないと、必要な情報に至るのが大変、ってことになりがち。(全体のニュースを書きたいというのでない限り、連邦=国レベルの話は日常には役に立たない)


・一般的には、市のレベルでの発表を見るのが一番役に立つと思う。そこには、州、連邦での決定等が反映されているはずなので、必要ならそこから遡るのが効率的。


・同様に、日本の在外公館に関しても、在カナダの大使館情報というのではなく、例えば、トロント総領事館の情報を得るよう心がけける(今回も、在留者向けのメールが発信されていた。在留する場合には、登録しておくのが吉です)。


とりあえず現状は、

在カナダ日本大使館
感染症危険情報
http://www.anzen.mofa.go.jp/kaian_search/sars.asp


オンタリオ州保健省の豚インフルエンザ対応サイト

トロントのあるオンタリオ州では、5月3日(土)午後3時現在の感染者数は14人。
http://www.health.gov.on.ca/english/public/updates/archives/hu_09/swine_flu.html


報道によればいずれの症状は軽く自宅療養で回復に向かっているようだ。
ちなみに、パニック的な感じはこれまでのところまったくなし。各種行政機関はモニターしてます、って感じで、あと、情報の出方を見る限り、現在従来の対策の見直し中ってところかなと思う。


以下はインフルエンザまわりでカナダを評価するならどうなるかなぁと思いつきメモ。


(カナダ・良い情報)

SARSで悪評のついたカナダですが、カナダの一般的な医療水準が低いという話は聞いたことはない。


(カナダ・悪い情報)

ただし、これが日常の、お医者さんとのお付き合いとなると話は別で、日本のように街角にふらっと医者の看板があがっているという状況はほとんど期待できない。医者が足りてない。だから、お金は旅行保険があるからOKですぐに医者に飛び込みたい、と思っても簡単に飛び込めないケースが予想できます。居住民でも万一のためには自分で探してどう行動するかを決めておく必要がある。


(カナダ・良い情報)
にもかかわらず、これを悪い情報におかないのは、今回はインフルエンザの拡大防止が対象なので、こういういわゆる法定伝染病みたいな話になると、医療そのものというより、医療行政がどのぐらい効率的に人々を統括できるか、にかかっているだろうと思えるからで、その点に関してカナダは悪い位置にはいないだろうと思う。医療行政は、自由主義的世界というより社会主義的だから。

もし拡大を深刻に懸念するような事態になった場合には、各市の単位で、恐らく、簡単に、誰にでもわかるように(常に居住民想定者の知的レベル見積もりを低くして書く、話す、宣言するのがカナダ的)、どうしたらいいのかの仕組みが作られると予想できる。


さらに、拡大防止に際して効があるだろうと予想できるものがもう一つある。それは、居住者は全員健康保険システム内に組み込まれているので、怪しいかなと思ったら医療施設に行くといった行動様式がある程度確保されている点。医療行政と一般人の間の垣根が低い。


(カナダ・悪い情報)

しかし、一方で、居住民以外の滞在者もいるわけで、その人たちをどう感染拡大防止に取り込むかは一つの懸念材料かもしれない。おそらく、もし深刻な話になれば、どうでもいいから保健省に電話しろ、ヘルスケアセンターに来い、という話になるとは思うが・・・。


(カナダ・ニュートラル情報)

今回のじゃなくて、いわゆる季節的インフルエンザというやつで、
カナダでは平均して、毎年2万人がインフルエンザで入院して、4000人が亡くなっているのだそうだ。
http://www.phac-aspc.gc.ca/im/2007/index-eng.html


米国では、CDCによれば、米国では毎年、平均して、
・5〜20%の人口がインフルエンザに罹患し、
・インフルエンザ関連の合併症で20万人が入院し、
・インフルエンザ関連で3万6千人が死亡している

のだそうだ。
http://www.cdc.gov/flu/keyfacts.htm


関連という範囲が曖昧だという感じがなくはないが、とりあえず米とカナダの人口差が8倍ぐらいだから数値的には、似た定義を使っているのかなと見えなくもない。でも、カナダの死亡率が有意どころでないほどデカイ気がする。これって、ほんとに比較可能な数値なんだろうか? 




とかとか、考えて、どうでしょうねぇ。総合評価としてこれから1年間カナダで暮らそうという場合のリスクをどのぐらい見積もるか(勝手に見積もってますが)。


インフルエンザは常にあるものだと腹をくくるってのもありだとは思う。その流れで対応も結構普通に良好である確率は高いだろうというのはメリット。けど、そうはいっても、誰でも知ってるこのうんざりするほどの気候の悪さを無視するというのは、やっぱりまずいかなぁ。
他のすべてが良好でも、この気候が持つ悪い方向へのポテンシャリティは大きいといわざるを得ない。


そもそも、こんなことが起きていなくても、居住者として、とてもじゃないが、身体の弱い人に向かって冬に遊びに来てくれとは言えないもの。私らが真冬になるとメキシコ他カリブ海方面に避寒に出ようとしてる。

ただ寒いだけじゃなく、長いので2月頃になると、一回はどこかに出て切らないと気が触れそうになるという感覚は実際あって、ここで体力、気力が落ちる可能性は否定できない。これはリスクだす。

2年目になると楽になるし、5年たつと身体も慣れるし、着る物の着方もわかってくるし、身体にスケジュールが染み付くから、あと1ヶ月もすればとか思いながらやり過ごせるけど、1年目はこれがないから辛いはず。


う〜ん、私は今年は勧められないかなぁとしか結論できないかも・・・。カナダの旅行とか外交とかの当局者に怒られそうだけど。


もしどうしてもというのなら、

1・旅行者保険には必ず入る(これは普通でもマストだが)
2・具合が悪くなった時に、どこにどう連絡するか、どうやって医者を見つけるのか、医者でなんて言う、サポートは誰がする、を含めた行動計画を、1が駄目なら2、2が駄目なら3といった具合に弾力性のあるものにして持つ、
3・退屈したらどうするか、のプランを考えておく。休校やら体調懸念から人々が外で遊ばなくなった時、1人でできる何かがないと辛くなるから。


ってのが必要かなと思う。


ロシアの話を見るたび、地理には勝てんよなぁと思い、今度は気候には勝てないとかいう私は、すっかり自然環境敗北派になっているのだろうか。

気候には勝てないかもしれない

ようやく暖かくなってきて、少しは暮らしやすくなった今日この頃。しかしあと3週間は油断できない、というのがここのrule of thumb。経験則的には、5月のビクトリア・デーまでは油断できない、雪が降ることも有り得るんだから、など言うわけだす。


日本的に考えると冗談のようだけど、ここの寒さというのは本当に半端でない。いらっしゃる方は、気温を見て判断すると間違うというのを肝に銘じられるようにお勧めしますです。北部のヨーロッパとかでも同じだと思いますが、暖かいというのは太陽が照っているから、に過ぎず、空気、地面は冷たいままだというのが5月です。だから、日が沈んだり、日陰に入ると、思いっきり冷える。綿製品じゃ太刀打ちできない冷え方だったりします。

で、こっちの人の格好を見ると、それにもかかわらず薄着しているように見えるわけですが、しかし、脱がせてみれば(笑)、その薄着の中身は日本とは若干違いますね。まず、肌着が日本で売ってるよりも暖かい。または、分厚いとも言いますが、パンツからTシャツ、普通のシャツの果てまで、要するに綿が重くて、あんまり通気性に優れていないものが主流というかスタンダード。

だから、例えば、この時期は「Tシャツに綿シャツで大丈夫よ」といっても、トロントで一式買うのと東京で一式買うのとでは暖かさ/涼しさという点において違いがあるかも、と思っておくのはいいアイデアだと思う。デザイン的には同じようでも、真夏に東京から持って来た服は早く着ないと、8月末ぐらいになるとなんだかすーすーして着られないと思ったことが何度もあった。

アメリカン・コットンなるもるものによるTシャツって、分厚くてダサいでしょ~~; あれはでも、北米北部ではあれが最も快適可能性が高いんだと思う。


夏になると、通気性に優れた素材で、日光を遮るよう長袖を着ているインド人その他南アジアの人のそばで、殆ど裸かというようなタンクトップ(分厚い綿の)にミニスカート着用の暑そうな白人の女性を見る機会がそこら中にあるんですが、しみじみ、文化の違いを感じるし、気候、地理による影響が人の日常の「普通」に及ぼす影響というのは、場所を超えても、おそらく、大きなきっかけ(限界値に行き当たるとか、強力な推奨を受けるとかいうモメント)がないと変化しないものなのかなとかも思う。


で、そういうのを観察しながら思うのは、日本って何ほどか南方的特性にあふれたところだろうか、ってこと。何回も書いている気がするけど。ただ、西日本に中心を置いて文化を綴るせいで、北東部日本は本来そうじゃないだろう、ってな文化を自分のものとしているようで、あんまり身の丈にあってない歳時記および文物で暮らしてないかぁ?とかも思う。

 露出を抑えた結果はいかに


日経社説 中国は海軍の透明度高めよ : NIKKEI NET(日経ネット)
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090424/1240531729


finalventさんが、この話にからめて、ビル・ガーツの話を出されていたので、思い出しがてら雑記。
(話題のきっかけだけをお借りするようで、ちょっと失礼ですね。ごめんしてください<finalventさん。)


このへんって、アメリカはアメリカで適宜推移すればよし、なんだけど日本の中では結局全然共有されずに行ってしまって、相変わらず朝日はブッシュを馬鹿だという、で終わっている構図がある、と。

いいんだろうかと言ってみても空しいだけなんだろうけど、でもどうなんだろう。やっぱり、いいんだろうか、としかいえない。


「誰がテポドン開発を許したか―クリントンのもう一つの“失敗”」というタイトルで邦訳されていたけど、これ、英版のタイトルは、betrayal、裏切り、ってなわけで、この文字がでかでかと表紙にあり、要するにクリントン政権が何をやってきたのか、アメリカを裏切ったお前ら、ってなしたての本だった。


その後にも、何冊かあって、その中の、trechery(これも裏切り、不信、背信)で、この中身はイラクでの戦争におけるフランス、ドイツ、チャイナ、ロシア等々、あるいは国連の話もすごかった。

で、これらをひっくるめて現在進行形で、アメリカ国内ではかなりのボリュームで、米の一部分を裏切り者扱いする人々がいる。


これはしかし、外から見た時には必ずしも同調できない、またはする必要がない部分も確かにある。
フランスがアメリカを裏切りたいとして、日本人にしたらそれを咎める必要性ってのも、一義的か二義的かは迷うが、全面的にはないでしょう。ただ、やっぱり・・・ではあったなぁと思う。いやしかし、気持ち、わららんでもないよなぁとかも時々思う。しかし同時に、いやしかし、だし。もうぐじゃぐじゃ。


いや、他国の事情はどうでもいいとして、日本にとってこのへんをネグって推移して、推移し続けるのは果たして良いことなんだろうか。ブッシュ政権下では結果オーライだったかなとは思うが、今後、どうなんでしょう。しかし、今更出遅れたところを挽回するかのように、クリントンからブッシュへの時代に何があったのかの検証とか始めたら、当の欧米各国が、ブッシュのことは忘れよう、な、な、とばかりに「和解」むーどにいそしんでいるところから、周回遅れで民主党批判→米批判になるのも、なんだかなぁというわけだすね。う〜ん。いいのか悪いのか。いや、米批判にはならんか。チャイナ批判になるのが怖いから封鎖されてるってことなんだろうかなぁ。多分、そうでしょう。いやしかし、本当にそれだけなんだろうか。わからん。


というか、本質的に、日本には保守派がいないか、保守派の言論構成に難渋したまんま、というのが問題なんだろうなぁと思う。


余談だが、この間中西部のとある町に行ったら空港からホテルから、ついてる番組はFOXだった。普通のメジャーな空港だとまず殆どCNNか、オリジナルのなんかだと思うんだが、やっぱりここらへんにもさり気なくある種の気合ってのが入ってるのかなと思った。

ちょっと大げさで怖い

SMAP草なぎ逮捕】「なぜ家宅捜索」赤坂署にファンから電話殺到
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090423/crm0904231954052-n1.htm


酔っ払いの度が過ぎる所業を庇うつもりもないけど、でも、ちょっと抗議したくなるなぁ、これは。
だって、酔っ払いって、その上で、誰かに暴力を働いたとか、そこら中で絡みまわっていたとか、昔っからさり気なくよくいる、みせちゃうおじさん、になって善良なる婦女子を怖がらせたとかいうのでもないのに、ちょっと厳しすぎではなかろうか。家宅捜索??

薬の可能性を疑ったのだろうとは思うけど、でもそれなら身柄を保護しているんだから検査すればいいよね。
なんで家宅捜索なんでしょ?

いずれにしても、最近、警察とマスコミとの間の恣意性が強まってる??? 高橋氏の事件もそうだし。
いや、5年前と現在との比較でどうかと言われればどっちの状況が悪いのは本当にはわからんのだが。


酔っ払って裸って、それを誰もいない海岸でやってもお咎めはないだろうし、自宅でやっても、気心の知れた友人宅でやっても、友達無くすかもしれなけどとりあえず問題なしでしょう。すると公園という公共の場で、周囲に迷惑な声を聞かせて、っていうところが問題なのかな。でも、真夜中の砧公園とかだったらどうなるんだろう。そもそも通報されるのかな。わからない。なんか、よく考えるとよくわからない事件だ。


個人的にはSMAPなるグループにまったく興味がないのでこの波及効果がそんなに大金の問題になるのかとちょっと驚く。そういえばあちこちに出てるんだよね。全然詳しくないけど。

草なぎ出演CM、損害賠償50億円!?
http://www.sanspo.com/geino/news/090424/gnd0424015-n1.htm



そうはいっても本物のキムタクに遭遇したことはあって、ひとしきり友達の中での話しのネタにしていたことはあった。そーいえば。7、8年前か?


休日の都内某所の路上で歩いていて、何、このとがったニーちゃんは、と0.1秒ぐらい凝視っぽくなってしまった、すると、そのにーちゃんがガン飛ばしてきたので、なに、このあんちゃん!と、思わず眉の端が上がる、みたいな感じになったその瞬間、きゃーーーーとかいう声がそこら中から聞こえて、びっくり。


ビルから出てくるキムタクのためにガードマンが軽く歩道から車道にかけて通行止めにしていたところを、全然気づいていない私が普通に歩道を歩いてきて通過。キムタクに接近遭遇していたのだった−ロープを張られたその向うのファンというのか婦女子、最低でも100人どころじゃないっしょという一団が見守る中・・・。で、なにこのおばさーーん、と私は覚えず非難を浴びたわけだが、群集って怖いと思った。マジで。

キムタクの方は、要するに、ちょー、なんだよ、ガードマンしっかりしてくれよ、おばちゃん歩いてくるぜ、だったんだろうが特に動じる風もなく(私は危ない人ではない、そう見えるかどうかはともかく)、思えば冷静なあんちゃんだったわね、と思い出す。

 ラブロフ外相の突然の南北朝鮮訪問


ロシア外相、23日北朝鮮訪問 6カ国協議へ復帰促す
http://www.nikkei.co.jp/kaigai/eu/20090421D2M2102V21.html


なんなんでしょうね。注目だわ。


カスピ海方面では、ラブロフ氏は、先週から、
NATOが5月にグルジアで軍事演習をするというのを、挑発的だと抗議するのに忙しそうだった。そういえば、ロシア正教会イースターがこの日曜だったのだが、こういう場合お休みするのかなぁ。いや、どうでもいいけど。


問題の演習はグルジアで、19カ国1300人だかを集めてやるらしい。
NATO関係者は、前から決まってるのになんで今ごろ文句言うのぉ、と発言していた。


前から決まってたっつっても、その間に一回戦争しているわけで・・・。さらには、毎日毎日グルジアの大将は反露をぶちまけている中で、この行動を挑発的でないと言い切るのもなんだかなぁ・・・だと思う。やっぱり。

おそらく、トルコ、アルメニアグルジア、そしてアゼルバイジャンを、ロシア抜きでunder controlにしたいのだよ、by Americaという流れなんだとは思う。で、これをまとめて、ロシアは挑発的だと言っているのではないのかしらね・・・。


とはいえ、NATOの動向もなんか、不明。これにどこまで乗れるのかよくわからない、この団体。つか、冷戦後、この団体が公明正大に説得力を持って行動した試しはないのではないのか、というのが根本的に問題のような気もする。

 セキュリティ優先の時代


毒物カレー事件最高裁判決、雑感
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/


夕べ読んで、深刻な問題だなと思った。


お前は悪いやつだ、だから俺が誅してやる、という時代に、児島惟謙は存在できるのか、生き延びることができるのか、という問題だろうなぁとかも思った。そして、それはとても難しそうだと思ってしまう私がいる。

特殊な国アメリカの特殊性は存続できるのか

アメリカの経済危機はどこまで続くんでしょうかねぇとのんきに言うしかない今日この頃。

気配としては落ち着いている。でも、水面下でなんだか議論の行方が経済あるいは金融そのものというより社会構造の方に移っているような気配はある。

日本でもバブル後にめちゃめちゃになった金融セクターの問題と同時に、なんでこんなことになってしまったんだ→もろもろ→私たちは間違っていた or 私たちはアホだ、みたいな話に流れていったと思うけど、アメリカもそうなるのかなぁという感じ。


今日読んだのは、The Atlanticという雑誌にあった記事。

The Quiet Coup
http://www.theatlantic.com/doc/200905/imf-advice


IMFエコノミスト、現MIT教授のSimon Johnson氏による長い長いレポート。


入りの1ページはこんな話。IMFに来るお客さんってのは同じ悩みで来るわけです、民間からの資金調達がもうできないってなことになって資金を求めてやってくる、と。

で、そりゃ個々の経済事情ってのはそれぞれ違うんですよ。でもね、お客さんはみんな基本的に同じ状態があるんです。その国の経済には、上品にしてるけど緊密なネットワークを持ったオリガキー、経済エリートっつんですか、そういうのがいるわけです。

で、そいつらが資金を集めてきて投資する、儲かる。じゃがすか事業を立ちあげて人をやとって支持を集めていく。でね、上手く行ってる時にはいいですよ、でもしばしばやりすぎる、リスクを取り過ぎるってな経過になる。リスクを取りすぎてるわけですから一旦何かあったら、あっという間にデフォルトの危機に陥るわけです。そうすりゃあなた、誰もそんなところにお金を貸したくはないでしょ。


と、殆どサラ金業者の述懐のような話が続く。
ま、IMFって公儀御用達両替商みたいなところなわけで、ちょっと上品に見えるけどでもこの特種機関の役割は実際問題金貸しなわけだからどうしたってそうなるよなぁと改めて思ってちょっと苦笑。


しかし、IMFが担当するお客さんがサラ金業者のお客さんと違うのは、国家という機関がからんでくる点。


IMF氏が言うには、危機に陥った国(新興国)がオリガーキーを処分しようとなることは滅多にないですよ、という。それどころか逆ですがね、と。

その後オリガーキーのいる国の例が縷々述べられる(当然ながらロシア)。


で、さてしかし、ではアメリカはどうなんだと。
著者が言うには、アメリカは他のセクターで高度なものを持っているのと同じように、この国のオリガーキー体制も高度だす、と言う。

いいかい、金融セクターの代表的な銀行と政府の高官のいったりきたり具合を見てごらんなさい。彼らがどんなに関係が深いかわかるでしょ云々とこもごも例示がはじまる。

しかも高度というのはそれだけではない、人々の考え方まで既定している。まったく高度だと。
つまり、かつてGEにとっていいことはアメリカにとっていいことだ、というのがあったように、ウォールストリートにとっていいことはアメリカにとっていいことだと言わんばかりになっているでしょ、と。


と、こんな感じが続き、ではどうしたらいいのかの提言みたいなものが付いた長い長いレポートになっている。

最初の2ページを読んだ後は、もう面倒で流し見しただけなのだが、個人的には、「なにを今さら」としか思えなかったし、この件に関して解決策があるようには私はまったく思わないなどとも思った(酷い?)。

政府高官と著名銀行またはヘッジファンド等金融管理会社のボードメンバー(取締役)が重なるのは普通にアメリカ的光景だ。で、それによって彼らは機動性があるんだから、まぁいいんでないの、という感想で世界は回っているかもしれないぐらいだ。

アメリカというのは特種な国だから、という表現の具体例として引用される典型的な事態かもしれない。


それにもかかわらず、彼らがそれを今はじめて知ったかのように書いている点に私としては、ほぉ、という感想を持つ。やっぱり、自信なくしてるんだろうかなぁ、みたいな。


実際には、今初めてじゃなくて、ずっとごしょごしょと批判的な人たちは続いてはいたと思う。ただ、誰もそれが更生されるとも思ってないという結論はいつもぼやけた姿でそこにいつも立っていたのではなかろうか? アメリカってそういう国だもの、と。


こう書くと絶望するアメリカ、みたいだけど、そうじゃなくて、その圧倒的なクローニー的キャピタリズムの中で、その中で、それにもかかわらず「成り上がる」ことができることがアメリカの良さ、あるいは、アメリカの自慢なわけだしょ。


で、最近の論調が、オリガーキー的自国にフォーカスがあたっていて、それをなんとか直すべきと語りだしているとすれば、これこそアメリカが弱っている証拠なんだろうなぁとか思う。

あんたら、そんなに上品な人たちじゃないのに、なんでそんな上品なこと言ってんの? みたいな言い方をしてみてもいいかもしれない。どうあれ活路を見出す、俺様、という人にフォーカスを当てられなくなっているのかもしれない。


でも、わからないでもない。
アメリカは、実際にはただの一度も、適度にみんなが食べていける状態をどこかで志向しつつ、結果において適度なセーフティーネットとしての社会福祉なるものを備えた国民国家、だったことはないし、それが大きな支持を集めたこともない。
その代わりに、機会を平等にすることに誠意を尽くそうじゃないか、ってのが国是のようなものだ。それは、ヨーロッパで貧乏だった、一発あててやる、家持ってやる、金もってやる、力もってやる、といった気概だけを頼りにと移民してきた人々の国という成り立ちと良く調和していた。
(上品にいえば、宗教的自由を求めて、なんだろうが、宗教的自由って、要するに、私の考え方は誰にも変えられないってことだから。)


しかし、ここに問題がある。
3代も暮らせば、人は普通にただの国民になる。国民は所与の権利として幸せに暮らせるべきじゃないの、安定したインフラを供給するのは政府の勤めでしょ、など言い出すに決まっている。

(それはそれなりに、感情的に納得できる理屈はつくと思う。普通の歴史社会においては、国民の中の大多数はそもそもそこの最初の居住民とみなせるので、最初っから強力なステークホルダーだ。だから、国家マネージメントを変えるんだったら相応に分け前を出せという権利のようなものもあり得るだしょうし、一方で、国家マネージメントを失敗したら、みんなで貧乏になるという時代も相応にくぐっている。しかし、アメリカ国家は、忠誠を誓うことだけで国民になるのが建前で、彼らは地面に生えたステークホルダーではない。ま、出生地主義ではあるにせよ、アメリカ人にはなるものだ、という考え方は今でも社会の隅々でホールドされていると思う。)


ということで、アメリカ内の人々が、ひたすら成り上がることを奨励されても、もう苦しくなってきているんだしょうし、ぶっちゃけ、できないわけですね。マジョリティの白人は中産階級的になっているので、ひたすら成り上がるなんてことに批判的になってしまったという傾向も大だと思う。

(70年代のヒッピー文化というのは、いろんな視点で議論可能だと思うけど、要するに、成り上がり拒否症候群の第一陣ではないのか、など思うこともある。ヒッピーの人たちって、中産階級の子女だからこそあんなことしていられたわけだす。その同じ時間内に、彼らの政府は、その代わりというわけでもないだろうが、市民権をあげるからベトナム向けの兵隊になれと、他国からの新たな「成り上がり」希望者を募っていた。)



どうなるかわからないけど、とりあえず言えるのは、アメリカが今直面しているのは、金融危機だけではないことは確かだわねぇ。いや、徐々にそうだったがここに来て、さらに混迷を深めるのかなぁなど思い出した。ま、私の気のせいかもしれないが。

保守派からは、オバマが悪いからこうなる云々という風も来ているようだけど、それだけじゃないでしょ、やはし、とは思う。短期的には中間選挙共和党を強くして、民主党政権をロックアップしようという戦法だろうとは読めるが、彼らにしても、ビジョンを提示できるのかはなはだ心もとない。
最終的にラティーノがマジョリティを取っていく近い将来におけるモデルが不分明というのも結構問題なんだろうなとも思う。



FTのマーチン・ウルフもこれを取り上げていた(私は実はこっちからオリジナルに行った)。

Is America the new Russia?
http://www.ft.com/cms/s/0/09f8c996-2930-11de-bc5e-00144feabdc0.html#


あの長いレポートを簡潔にまとめているとは思う。が、問題はロシアになっちゃう話じゃなかろうよ、と思うとこのタイトルが奇妙。つまり、ここには、オリジナルのレポートが示唆してあまりあるアメリカ社会の苦闘のようなものが見えない。

ま、そんなのアメリカ人以外には関係ないからね、勝手に悩んで、という冷酷なヨーロッパ人がそこにいるんだろうかね、やっぱりとか思った。